Darkness world -ある捻くれ者のつぶやき-

成瀬香織です。私の幼少期からの出来事をエッセイ形式で書いていきます。(ちなみにこれは全て私の心理カウンセリングで使われたものです。虐待などの内容を含むため、閲覧にはご注意ください)

ハサミと赤い糸と俺

まず…

赤い糸→私が相手を愛する気持ち、恋をすること

ハサミ→我が両親および兄

 

私かて若かりし頃は沢山恋愛をしてきました。そりゃそうですよ、いち若い娘でしたから。

けれど恋愛をしているとなると、必ず親(特に母親)の監視が入るのだ。ひどい場合だと相手の人の身辺調査をしたり、例えば会社の社長や役員、その息子が相手であれば会社を調べるために商工リサーチに問い合わせてまで相手のことを調べあげて両親揃って品定めをするという最悪なパターンもある。

更にはすでに成人している娘のことを実家に縛り付けて勝手に門限を決めてデートをさせないなど、そういう規則ばかりを作る。

もちろん当方はそれを良しとするはずもなく、成人しているのだからその辺は理解してほしいと一人暮らしをしようかと物件を探したりもしていたが、母親からは泣きつかれる、マザコンの兄からは出ていかないでくれと懇願され、どんな手を使ってでも阻止されるという悪循環に陥る。

しまいにゃ夜10時頃に家に帰宅した時、父親が玄関に出てきて私を怒鳴りつけたて、リビングにあったミカンや玄関にあった置物を私に投げつけてきたうえに私に殴りかかったのだ。

私は怖くて家から逃げたのだが、無理やり引き戻されて説教を食らう羽目に。私だけじゃない、当時の彼氏に対しては「今すぐここに連れてこい、ぶっ殺してやる!」とまで。ここまでくると父も母も正気ではない。

今思うと両親は私はただの両親の体裁のための飾りでしかないのだろう。そうじゃなければ実家にいることを強制したり、一人暮らしを阻止したり、就職にしろ進学にしろ地元にはこだわらないだろう。むしろ一人暮らしさせたり、遠方の寮に入れたりと子供を巣立たせるのが親の役目のはずである。

それなのに成人している娘の行動を制限してりなんてけしからんものだ。私は両親の世話をするために生まれてきたんじゃない、私は両親の墓を守るために生まれてきたんじゃない、私は自分の人生を後悔のない生き方で全うするために生まれてきただけなのに。

 

これだから私が誰かを好きになってもその赤い糸は両親によってぷっつりと切られてしまうのだ。だから私はコソコソと付き合うか、男遊びに走ってしまったのだ。

ただ一緒に食事や買い物をするだけ、体を重ねるだけとか、本当に虚しくなることばかり。ただ、当時は体を重ねるだけでも幸せだった。中には自分より10歳近く年上の人もいた。その時だけは仕事も親のことも全部忘れられたから、本当に幸せだと思っていた。けれどいざ行為が終わって別れてみると、虚しさしか残らない。そんでそのうち私は要注意人物となってしまう。

だけど私は体を重ねるだけの相手からは金品は一切もらっていない。なんだろうな、都合のいいセックスワークみたいなものだったのかもしれない。矛盾しているけれど、その都合のいいセックスワークも後悔などない。

そして買い物や食事をともにする男性にはいろいろと買ってもらったり、食事をおごってもらった。高いレストランや料亭にも行ったし、ブランドもののバッグや服を買ってもらったりもした。もちろんこれだって虚しさしか残らないけれど、ただ「大切にされてるんだなぁ」というその気持ちに浸りたい。それだけだった。

 

なぜそうなるか…

恋愛をしても親から無理やり別れさせられ、身辺を調査され、無理やりお見合いを取り付けられたりと、そんな事ばかり。

だからこそ私は本当の愛が欲しかった。けれど今の旦那と出会ったのは、本当によかったと思っている。運良く今までの元凶だった母親が亡くなった後だったから。それと私の留学で日本とカナダとの遠距離恋愛を貫けたこともよかったと思っている。

私がカナダ、旦那が日本でも、貫いた。本物の愛だからだろう。それに旦那は私と付き合う時には既に私がカナダに留学することが決まっていたのだが、それでもいいとカナダ留学を後押ししてくれて、応援してくれた。両親や兄よりも応援していたのだ。

本当は両親がすべきことを旦那はしてくれている。本当に嬉しいし、私はその時人の心の暖かさに触れた。

ここからは私の赤い糸を切る者は現れなかった。むしろ強固な一本の赤い糸だったんじゃないかな?そう思う。両親やストーカーにあったこと、旦那と付き合う前に理不尽な理由で失恋したこと、旦那はそれを受け入れてくれて私がたくさん泣いたこと、私が原因不明のウイルスで消化器官をやられたときもずっと付き添ってくれていた、カナダ留学にも笑顔で送り出してくれて、毎週テレビ電話をしたり、本当に心配になった時は国際電話をしてくれた。帰国してからもすぐに両親に紹介してくれて、うちの親やお兄ちゃんにもあってくれて同棲も始めた。結婚するまでに赤い糸はハサミじゃ切れないほど強いものになっていたのだろう。

自慢できるなら

私には自慢できるものがあります。

それはお仕事のことでもなく、資格のことでもなく、家柄の事でもありません。

 

自慢できること…それは

「いじめに遭っていたことで、人に対する優しさ、辛いことに対しての忍耐力、我慢強さ、人を見るための洞察力、人の気持ちを考えられる…それらの力を得ることができたこと。それらを持ち合わせることができたこと。負けず嫌いになってどんな困難でも立ち向かえる強さを得たこと」

 

心身ともに強くなれた。

それと同時にこういう人たちを反面教師にして生きていることに感謝する。

くだらない理由があります。

私がまだ幼稚園に通っていた頃の話。

その頃私の実家付近の治安は普通に良かった。幼稚園児の子どもたちも普通に家から離れた公園で遊んだりしていたぐらいだったし、それを見て変な気を起こす大人もいなかった。

だから私も幼稚園児の頃から家から少し離れた公園に一人で遊びに行ったりもしていた。

そこで何人かの同じ学年の友達が出来た。もちろんその子達とは小学校も同じところに通うことになっていた。毎日なんだかんだ仲良く過ごして遊んでいたことを覚えている。

 

小学校に入学してから…

突然意味も分からず同じ地域の同じ学年の子達からハブられるようになった。帰りも地域ごとに班になって帰るのだが、最初は一緒に帰っていても、途中になってから私だけ置いていかれるというもの。最悪なのは私のプールバッグを100メートルぐらい後ろの場所にわざと置いてきて、私が取りに戻ると全員で走って逃げるという悪質なもので。だから私はいつも置いてけぼりにされて一人で家に帰っていた。

もちろんその班には女の子もいたけれど、男子と一緒になって私を置いていくなどする。明らかにいじめである。なぜかその頃からいじめに遭うようになっていった。私は子供の頃から虫が嫌いだったり、ヘビが嫌いなどそういうものがあったのだが、それを知った同じ地区の同級生が、それをネタに私をからかうと面白いと言って嫌がらせレベルにからかうものだから、いつの間にかいじめに発展していった。

そんな中、前記の女の子が私に声をかけてきて一緒に遊ぼうと言ってきた。けれど私は前記のようなことをその子にもされていたので、それを理由に断るときまってその子は「あたしやってない!」と平気でとぼける始末。たちが悪いのだ。当時の私が弱虫だったこともきっといじめの原因だったんだろう。だからといってそんなものは理由にしちゃいけないけれど。

そんな中、他の地域の子たちが私が一人で帰っていることを先生に言ったようで先生から事情を聞かれた。だから私は正直に「みんな走って私を置いていく、嫌なことを言ってくる」などと話した。

そんなある日、またしても置いていかれる事件が起きて、私はとても悲しい思いをしていた。その翌日、同じ班の同級生の女の子が普通にあいさつをしてきたのだが、私はそれを突っぱねて「昨日私のこと男子と一緒に置いていったくせに。恨み持ってるからね!」と言ったらその子は私に「え?私やってないし!!男子にいじめられるからやらなきゃいけなかったの」などと訳のわからない矛盾した言い訳を始める始末。頭にきた私は学校に着いていつも仲良くしている友達数名にこの話をした。すぐに私を置いていった女子は吊し上げに遭うことになる。

時は流れて小学校五年生の終わりになり、地区子供会の会長と副会長を決めるときに私は下級生からの推薦で会長候補に上がっていた。けれどいざ決まってみたら、一年生の時に下校班で私を置いていった女子と、五年生から転入してきた女子に決まってしまったのだ。そしてわざと聞こえるように

「高坂みたいなバカにはふさわしくない!」とか「だって嫌いだから」「醜いやつにならせたくない」などと耳を疑う理由を言われていたのだ。すべて同級生から言われていて、私は悔しくてたまらなかった。はっきり言って会長か副会長になれる自信はあったのだ。というのも学校の成績もそこまで悪くないうえに、下級生の面倒も普通に見ていたし、下級生たちからの人気も得ていたのだから。それがただ同級生の男子たちが私が嫌いという理由だけで会長にさせたくないと、裏で手を回していたのが私は気に入らないし、何を基準に醜いとか言ってくるのか…人間性を疑わないはずもない。

そもそもなぜ「醜い」なんて言えるのだろうか?そして嫌いという理由だけで地区子供会の会長に選ばないとか、他の男子の下級生とかにも「あいつに票は入れるな」と命令できるのだろうか。道徳心というものが無いのだろう。おかげでこの年の地区子供会での話し合い内容だったりどんな先生が顧問だったのかも全く覚えていない。正直無関心になってしまっていたから。

そもそもくだらない、「嫌いだから」とか「醜いから」とか。それを真顔で言っていたのだから余計にくだらなく、滑稽に見えてしまう。見ているこっちが恥ずかしい。自分だって決してイケメンじゃないうえに、どう見てもニホンザルにしか見えないほどブサイクなのだから。ブサイクに醜いなんて言われても悔しくねーよ!と啖呵を切りたいところだが、ここは大人しくしておこうと啖呵は切らずにいた。

正直こんなの誰が決まっても別にいいと思っていた。ただ私が気に入らないのは「嫌い」という理由だけで重要ポジションから人を外すなど、そういうやり方がまかり通っていることが気に入らない。で、それなのに学級での雑用などは平気で押し付けるとか意味がわからない。こんなことは「してはいけないこと」で小学校1年生の道徳の教科書にも普通に載ってますけどね。

 

ちなみにこのときの会長や副会長は…

今はあまりいい人生を送っていない。それとそんな会長と副会長を推薦して票を入れた上に私を醜いと言った男子もまともな生き方をしていないし、その主犯格(以下サル)は高校の頃に堂々とキセル乗車や不正乗車をしていた。その現場は私も目撃している。

ある日最寄り駅の同じホームで私はサルを目撃したのだ。そして運がいいのか悪いのかサルと同じ車両に乗り合わせたところで私はその現場を目撃することになる。

こともあろうか、サルは電車を降りてから改札方面に向かわずに隣の線路を走って横断して、その先のフェンスを超えて駅から出て行ってしまったのだ。恐らくだがサルは駅の入場券か最低額の切符を買って、目的地まで行ったところで奴は電車を降りて駅の中の別の線路を走って横断してフェンスを超えて駅を出たのだろう。

あれ捕まったのかなぁ??と見ているこっちが思わずほくそ笑んでしまうほど滑稽なことをやらかしてくれた。無事に捕まっていることを願いたい。そもそも線路に侵入すること自体立派な犯罪であるから。

 

それとサルの腰巾着も称賛されるような人生を送っていない。

 

何が言いたいのかというと…

人をいじめる、苛めの片棒を担ぐようなことをしていた前科があるような奴は必ずバチが当たる、ろくな人生が待っていないという、そういうものだということ。社会に出て生計を立てられたとしても最低限の生計でしかないのだろう。海外出張をしたり国内でも世界から賞賛されるようなものを作る仕事にもつけないだろうし、誰かに良い影響を与える人にもなれやしないと思う。そして何か目標、たとえば何かなりたいものを目指していてもその途中の下積み生活の最中で子供が出来てできちゃった婚をしたり多額の借金をして自己破産したり、子供が生まれたとしても満足な生活をさせてやれない、変な名前をつける、家庭を持っているくせにちょっとでも劣等感を持ったなら羨ましいと思う人間や自分より気の弱いだろう人間に金品を集る、そして極め付けは過去の悪事を忘れたと反省もしない。

それからもうひとつ。いじめていた相手や自分より下に見ている人間が何かで成功しているなら必ず擦り寄ってくる、そして集る。最低だ。

 

正直そういう人間にいじめられていた私、自分の力で自分の求めたとおりの生活をしています。ここまでたどり着くまで遠回りして時間はかかりましたけど、周りの理解を得たりもしましたし、欲しい車を買ったり好きなファッションをしたりできています。安定した生活も手に入れました。きちんと自分の稼ぎでです。

海外相手の仕事に就いたこともありましたし、海外留学をして世界中に友達を作ることも、英語力をつけることも出来ましたし、理想の結婚も出来ましたし子供の頃から憧れていた海外挙式も出来て新婚旅行もハワイへ行きました。マイホームも建てて子供も生まれて幸せです。

何よりも夫も聡明で安定した仕事をしている、きちんと人に聞かれたら言える職業、夫自身も人に自慢できるような人です。

海外出張が多いこともあるけれど、それだって自慢できることじゃないのかな?

同窓会

私は同窓会というものには行きたくない。

 

というのも、小中共にいじめに遭っていたのもあるし、高校は本当に行きたい高校へ進学したわけじゃないうえに人間関係が面倒だったから。で、その中で…殆ど女クラ(クラス43人中男子は10人だけ。けど根暗やさえないな奴ばかり)というのもあってか、何かにつけて仲良しグループを作りたがる、それだけじゃなくスクールカーストみたいなアホみたいな構図が出来上がり、スクールカーストの頂点にいる女子の仲良しグループだけがのさばり、調子に乗る。

ついでにスクールカーストの頂点にいることをいい事に対して仲がいいわけでもないクラスメイトの色恋沙汰とかにズカズカと首を突っ込んでくるなど。はっきり言ってめんどくせーって感じなのだ。それだけならまだいいが、無理にでも仲良しグループを作らなきゃという空気が漂っているだけに、仲良くしたいような雰囲気でも無さそうな根暗なブスと2人だけの仲良しグループを勝手に作られたこともあった。

そもそも女子独特のキャピキャピした雰囲気が好きじゃないし、無理に作られた仲良しグループにいてそこの人間と仲良しこよしごっこをするのも好きじゃない。所詮は馴れ合いでしかないと思っている。

 

うちのクラスに一人いた。

中学浪人して入ってきたある女子なのだが、この女が面倒な女であった。他のクラスメイトよりも1歳年上だからなのだろう、気持ち悪いほどでしゃばりでプライドが高く、うるさい女だった。無論その女が仕切るグループがスクールカーストの頂点、今考えても鬱陶しい…

実はこの女らのせいで私は当時内緒で付き合っていた彼氏と別れることになってしまった。

 

ある月曜日、前日に当時の彼氏と図書館に行って勉強をしていた。だが、それを目撃されてしまったようでその翌日である月曜日に学校へ行ったら、ワイドショーのインタビューの如く、質問攻めに遭った。たいして仲良しでもないのに、こういう話になると無理矢理割り込んでくるこの神経、未だに理解できない。

それに無理矢理私と仲良しグループにさせられた根暗な女と距離を置こうとしたら、私が完全に悪者扱いでスクールカーストの頂点の女らに説教される始末。性格的に合わないし、趣味や嗜好や考えも合わないのになぜ一緒にいるんだろうと思った結果、距離を置こうと決めただけなのにここでも首を突っ込んでくるのだから面倒くさい。

人の友人関係や恋愛事情にも首を突っ込むとか、正直あり得ない。それに私はクラスで一人でいたとしても平気である。むしろその方が気楽でよかった。なのに無理矢理仲良しグループ、そして親友と決めつけてお友達ごっこを強いる。苦痛なはずがない。

 

それと元いた仲良しグループのリーダー格の小池(仮名)という女も私は大嫌いだった。何だか気持ち悪い、やたら私に突っかかってくる女だった。根暗な女とくっつけてグループから私らを追い出して自分らはいい気になっている、そして私のすることにいちゃもんをつけてくるなど、何が気に入らなくてそうするのか未だに謎である。小池もブスだった、まさに顔も悪ければ性格も悪い。もう最悪…

 

こんなだから同窓会なるものは行きたくない。自分が辛いだけだし、面倒なことに巻き込まれるのは目に見えているから。

 

だが、私が21歳の時に実際に高校の同窓会の案内が届いた。けれど関わりたくないのでそのままハガキは捨てて返事は無視した。

 

それから3年後…

会社の飲み会の帰りに高校のクラスメイトだったある男子にばったり会ったのだ。全然変わりなくて、暫し話した。

けれどお互い連絡先も交換せずに別れた。これでよかったんだ。

 

きっとこれからも私は同窓会は断り続けることだろう。

ブラック企業勤め

どもー、こさはるです。
きょうも元気にエッセイ書いていきますんで、読んでください。

※※※※※
私は一時期今で言うブラック企業に勤めていたことがある。H交易という輸入と通販の企業だ。
ちなみにハロワの求人にて「事務・英語ができる方大歓迎」とあり、私は応募をした。

数日後、そこへ面接に行き3日後に採用が決まった。
翌週からの出社となり、先輩たちからはとても良くされて正直私も安心していた。私の当時の担当はお客様からハガキで注文のあった品物、たとえばゴルフクラブなどを受注管理をしたうえで商品を発送し、支払いを確認するというところまでだった。
そこの企業の取り扱う商品はとても幅広いもので、ゴルフクラブ等のゴルフ用品をはじめ、個人輸入の医薬品やサプリメント、更にはアダルトグッズまで。アダルトグッズに関しては輸入物もあり、パッケージなどが無修正のまま輸入されていた。そこを「わいせつ物」とならないよう私達の方で加工したうえでお客様には発送していた。もちろん国内生産のものも扱っていた。
最初はめちゃくちゃ戸惑ったのは言うまでもない。それについて当時の課長曰く「うちが相手にしてるのは、ゴルフ好きのエロオヤジばかり」とのこと。いくら社内とはいえ、これはいかんだろう。
そして山積みのアダルトグッズに戸惑う私の隣では先輩たち(すべて独身女性)が普通に発送業務を行うのだ。それから次号のカタログに載せるための商品サンプルの撮影をしたり、説明文を書くのも私達なのだ。
この時は先輩がとあるアダルトグッズの説明文を書いていたのだが、淫語が並ぶ!並ぶ!並ぶ!そんな調子で私は更に驚き戸惑った。

話はこれだけではない。
ここまでなら別にいい、無論あれだけのアダルトグッズを見ていれば嫌でも免疫が付くものだから。肝心の社会保険加入の案内も、給与振込口座も聞かれないことを不審に思い、経理担当に聞いてみた。すると、その日の午後になぜか私は社長室に呼ばれた。
社長室に入ると、社長がそこにいて私にこう告げた。
「あれー?説明してなかったっけ?うちの会社って最初の半年はアルバイトなのよね。それで半年持てば正社員にするってことになってんのよ。でね、時給は750円。これね、社会保険事務所からもあまりにも加入や脱退が多いってことで指導受けちゃっててね」
私は正社員ということで、ここに入社したはずだ。それなのにいつの間にかバイト扱い。しかも経理担当は社長の奥様という扱いづらい人事であった。

どうせこんな事になるなら、いっそ辞めて他に仕事を探したほうが私のためだと私は帰宅後に両親に辞めることを話した。
すると、父親は大激怒、母親も「数日で、バイトだからって辞めるなんて我が家の恥」と言い出す始末。私が辞めることを猛反対。しかも翌日から母親は私の出社を監視するようになり、辞めるに辞められなくなってしまった。
ただ父親は条件を出してきた。
「次の仕事を今すぐに決めてきたら辞めてもいい」と。はっきり言って無理だ。そして母親も毎日のように辞めないでと言う始末。仕方なく勤めるしかなかった。

そして私はそこの職場で何とか仕事を覚えて海外からの問い合わせにも応えられるようになっていった。社長の強引な仕事ぶりは相変わらずだった。
気がつけば年末。ここで何か変化があればと願わずにはいられなかった。

年明け…。新しいカタログが正月の期間にお客様のもとに配送されていたことが発覚。本来なら正月明けにお客様の手元に届くはずのものだった。社長曰く郵便局のミスだというが、そうとも言い切れない。この社長のことだからわざとそうしたのでは?という疑いも出てきた。年始から注文のハガキやらファックスが多数届いており、まさに注文殺到という状況になっていた。その日だけで注文は300件、だけどそれを受注管理して発送業務まで行うのは私ともう一人のパートの人だけ。あとの先輩たちは別の業務があるということで私らの仕事にはノータッチであった。
毎日100件近くの注文があるため、とてもじゃないが2人だけでその業務を行うのは不可能だった。私は日中は電話での注文を受けて受注のデータベースに打ち込んで行き、発送を行うという作業の繰り返し。そしてもうひとりの人も同じ。だけど他の先輩たちは手伝ってもくれない。もちろんこちらからヘルプを出しているのに…
ある昼休み。
先輩たちと昼食をとっていると、一人の先輩が
「毎回こんな感じなのよね、新しいカタログの後って。けどねー、総動員で毎日徹夜で発送業務やってたりもしたのよ。私なんて胃を痛めて医者からはすぐに入院って言われたけれど断ってこの仕事してたのよ」
続けて別の先輩は
「けど給料安いんだよねー。社員でもホント、10万いかないし、ボーナスだって現物支給。この間は社員だけにって一万円の商品券だよ?」
更に前記の先輩が
「他にも!どんなに忙しくてもそれが当たり前になっちゃえば問題ないんだよねー」

この人たち狂ってる…
確かに給料は安いし、残業しても深夜働いていても残業手当も新夜勤手当もつかない。この時点で労基法に違反している。そして私も例外ではなく、給料には残業手当も新夜勤手当もつかなかった。コンビニのアルバイトでもキチンとつくもんだろ!と憤った。
それなのに仕事はきつい、毎日朝9時に出勤して帰宅は夜中の2時とか翌朝6時なんてこともザラ。
話は戻るが、この時の発送業務はとてもじゃないが追いつかない。そこで先輩二人も加わるが、全く追いつかない。けれどそんな中でも先輩たちは「私達はこういうのが当たり前だ!」と言わんばかりに仕事をしている。
確かに仕事だとなれば責任も生じる。だが、残業手当も新夜勤手当も出ない、社会保険にも雇用保険にも労災にも入れない…それで夜中、翌朝まで働くことを強要される。たとえインフルエンザになったとしても「マスクして出てこい!」と言われる。そして出社が遅いと文句を言われてしまう。

そんな中、社長は社員を置いて海外旅行に出かけてしまった。ここでも先輩の愚痴は止まらない。
「社長の贅沢さえ無くなれば、ボーナスぐらいまともにもらえるだろうに」
繁忙期に会社を放ったらかしで海外旅行?!明らかにおかしい。
その日の夜だった、私は熱と強烈な頭痛で倒れ込んだ。けれど先輩たちは「忙しいんだからぼーっとしてないで働け!」と言って帰ることすら許してくれなかった。一緒に仕事をしていたパートの人がいちばん酷かった。
「わたしは今日中にこれをどうしても終わらせたいの!だからあんた、きちんとやってもらうわ」
翌朝私は何とか会社を抜け出して病院へ行ったら、検査の結果インフルエンザだった。熱も39℃を超えており、医者からは仕事に対してドクターストップがかかった。そして病院を出て会社に電話をすると、先輩が出て私は罵倒された。
「誰があんたの仕事手伝ってやってると思うの?人手が足りないの!みんな熱があっても仕事してるんだから早く出社しなさいよ!」とどやされて、私は逃げられないと勘違いしてしまい、仕方なく出社した。
この日も先輩たちからの愚痴や罵倒を聞きながら夜中まで仕事をしていた。

私はもう耐えられないと思ったので、昼休みに労働基準監督署に電話をして現状を報告した。
けれどその時電話で話した監督官の方は私に冷たく「それは魅力のない会社ってことよ。それにね、いくら深夜勤務をして新夜勤手当がつかないっていっても私らでも何もできないのよ。調査も無理だ」と相手にしてもらえなかった。何のための労働基準監督署なんだろう…、絶望した。
そして警察にも相談したが、こちらも相手にしてもらえなかった。

これでは本当に殺されると思い、私は社長の帰国を待って社長に退職を申し出た。
すると社長は…
「こんな理由で辞めるって、ホント根性ないのね。それにただ深夜勤務したり朝方まで働いたからって体調崩すとか信じられない!アンタさぁ、ここにいるだけで迷惑だからさっさとどっか行って!それにアンタのことなんて最初から社員にするつもり無かったから」と。

信じられない。

これを根性なしだと??
私はこの日を最後に退職することになったのたが、先輩たちが猛反対したせいで退職出来なくなってしまった。それだけではない、先輩たちの怒りの矛先は私に向けられた。
「あんただけ逃げるのなんて卑怯よ。この仕事どうするつもり?このグチャグチャを何とかしなさいよ、夜も寝ないで朝までに終わらせなさいよ!」
とN先輩は私に言い放った。こっちとしては退職も決まっているはず、それなのにこれは?と
「そんなこと言われても…、私はきょうで退職だと社長に言われてますので」と言うしかない。
だがN先輩も引き下がらずに
「じゃあ社長に撤回させるわ!私らが犠牲になるだけよ!!」

私は会社から休むことなく働くことを強要され、昼休みすら会社から出ることを禁止された。定時で帰ることも、先輩たちよりも早く帰ることも禁止された。そしてただでさえ業務が忙しくて仕事も追いつかないというのに電話に必ず出ろと言われ、手を休めることも許されなかった。
そんな中、もう一度だけ労働基準監督署に電話をして退職を申し出たのに退職させてくれないと相談をしたが、これも相手にされなかった。だが、その時対応した監督官曰く「退職を申し出て会社側も一度は受け入れたんなら、それは有効だ」と言ってくれたので、私は改めて先輩たちに退職をすると宣言した。だが、ここでも先輩たちは噛み付いてきて、取っ組み合いの喧嘩になった。私も何かが自分の中で切れてしまったようで、パートの人と大喧嘩をした。パートの人曰く「私だってこんなの、もう嫌!きょうで辞めます!」と私に言ってきたこともあり、私は「じゃあ辞めろよ!とっとと出ていけや!!」と怒鳴り、彼女のカバンを窓から外にぶん投げた。パートの人はそれを奇声を発して外に取りに行っていた。

その日の夜、私は定時少し過ぎに誰にも何も言わず、引き出しの中に倉庫と事務所の鍵を入れてタイムカードを押して帰宅した。
こんなところ、もう居られないしもう無理!耐えられない!私は殺されたくない!その気持ちしかなかった。
そして翌朝、会社へ退職届をファックスを自宅から送信した。そこに今までの給与および残業手当と新夜勤手当はこちらの口座に振り込んでくださいと書いて…
その後すぐに会社からは自宅や携帯にしつこいぐらいに電話がかかってきたが、無視した。もう関わるのすら嫌だったから。

その時私はこう考えていた。
もしこれで、給与の振り込みがなかったら、マスコミに事実を公表しようと。実はタイムカードは全てコピーしていたのだ。それと時給を計算したエクセル表も作っていたから。それを証拠に…

だが、給料日に給与は振り込まれていた。
けれど私に払われたのは残業手当も新夜勤手当もないものだった。