Darkness world -ある捻くれ者のつぶやき-

成瀬香織です。私の幼少期からの出来事をエッセイ形式で書いていきます。(ちなみにこれは全て私の心理カウンセリングで使われたものです。虐待などの内容を含むため、閲覧にはご注意ください)

【黒歴史認定】恋愛禁止!娘に寄り付く悪い虫は?!

これは決して某女性アイドルグループ内でのルールではない。我が家には「恋愛禁止」ルールが存在していたのだ。その禁止令を敷いたのは今更言うまでも無く母である。そんな母は私にお見合い結婚を望んでいた。

反対に私はお見合いなんて真っ平だと考えていた・・・それも子供の頃から。正直「結婚まで親の決めた相手となんて?!」と思っていたからだった。それだけに母は私が中学生の頃からずっと「恋愛なんてすべきじゃない!そんな事を今からしていたんじゃろくなことが無い。それに今は勉強だけでいい!」「誰彼が好きなんて言ってないで勉強しろ!」などと理由をつけて私に恋愛をさせまいと躍起になっていたのだ。

「好きな人」を持つことも許されず、私が誰かに好意をとなれば母は黙っていなかった。正直それだけでも十分に鬱陶しいとも思った。実際のところ私の色恋沙汰など中学の頃は特に何もなかった。周りに私の理想とする男子がいなかったからだ。むしろ「誰がいちばんバカで、誰がいちばんブサイクで・・・」などと今考えると相当不謹慎なランク付けを行っていたぐらいだ。

 

そんな私も高校生になってからは母の監視の目も厳しくなった。家に来る電話も私が受けることは殆ど許されず、相手が男と分かると一旦は私に取り次いでくれるが、電話が終わると必ず何を話していたんだ?などと尋問を受ける。ただ、ここには例外もあった。幼馴染のミツル君からの電話だけは取り次いでくれたのだ。そもそもミツル君の家のことはうちの両親は既知であるうえに、ミツル君との関係も彼が引っ越して行った後も続いていたこともあったからだ。それに何よりも母親同士の仲だろう。

母はよく「きょうね、どこどこのスーパーに行ったらミツル君のお母さんに会ったのよ」などと話してくれた。まぁ彼の母親の話を聞いても特にときめくものは無かったが・・・。そして高校3年の頃にミツル君と再会した際には母も自分のことのように喜んでいた。だが私から見ればそんな母の姿が非常に滑稽に見えたものだ。そういう母を尻目にミツル君とは幼馴染という関係上、それ以上の関係に発展することは無かった。けれど私はそれでもいいと思っていた。やはり幼馴染というだけにお互いを知りすぎちゃっている・・・。だが幼馴染という関係以上にならない利点としてお互いを知っているだけに何でもよく話せるものである。だから時間があればよく電話で話をしたり、学校の帰りに遭遇したさいにはよく話をしながら一緒に帰ったりもしていた。再会するまでは電話でしかお互いに接点が無かったが、再会してからはお互いに会って話が出来ることもあってかすごく楽しかった。けれど最終的に恋愛関係にならなかった、私はそれでいいと思ってしまう。 

そしてこればかりじゃなく、部屋に好きなアイドルやバンドのメンバーのポスターを貼ることも許してくれなかった。そのアイドルやバンドがテレビに出ていて私がそれを見て喜んでいると母はいつも私に「そんなものに見とれてる暇があったら勉強!こういう事ばっかりしているから成績が下がるの!」と私からそのアイドルも取り上げようとしていた。音楽雑誌を買うこともよく思わなかったようで、ある日帰宅したらそれがごっそり私の部屋から無くなっていたこともあった。テレビで当時好きだった男性バンドや男性タレントが出ているのを嬉しそうに私が観ている時も母は悪意を持ったように「あんな男のどこがいいの?顔なんてブサイクだし歌もへたくそでさぁ。どうせ事務所の力かカネで上にのし上がれただけじゃないの?」などと知ったように言うのだ。今思うと私が家族以外に目を向けることへの嫉妬心からそのような発言になったのかもしれない。兄もそれを見て母を止めるのではなく私に「そうだそうだ、こんなのが好きなの?だっさー!」と母の味方しかしないのだ。中高生ぐらいの女子だったらアイドルや若手の俳優やタレントに恋心を抱くのもよくあることだと思う。だが、私はこういう事すら許されなかった。そんな中で母の見えないところで追っかけのようなことは続けていたが・・・。そして私も高校を卒業となり、友人数名と卒業旅行へ行こうと計画を立てた。実は泊まりではなく、日帰りであるテーマパークに行くというものなのにその旅行のメンバーに男子がいることを知ると母は「男ってこういう時は押さえが効かなくなる!すぐにそんな計画やめなさい!!」とここでも私に男を寄せ付けない!と必死になっていた。

母は私から「卒業旅行」も取り上げた。本当に悔しい思いをした。この一件以来親友からも「お堅い良家のお嬢様」「ガードも頭も堅い」などと揶揄されるようになってしまい、今まで仲の良かった友達もひとりひとりと離れていってしまった。結果親友とも暫く疎遠になってしまった。母は私から一体どれだけのものを取り上げれば気が済んだのだろうか?友達、自由な恋愛、好きなアイドルやバンド、好きなファッション、好きなヘアスタイル、思想・・・。数えだしたらきりが無い。

よく「親の庇護の下にいるなら親のいう事をすべて聞くべき」と世間は言うけれど、それでも我が家は酷すぎる。私には人権が無いのか?と悩んだことも多々あった。私は母の理想の人形じゃない、そんなに母が理想を私に押し付けても私は母の理想どおりになんてなれない。母が私に自身の理想を完璧に押し付けたいなら、私ではなく他に誰か養子でも取ってその養子に自身の理想を押し付けたほうが貴女のためだと母に言ったこともあった。だが母は「それでは意味がない。自分が産んだ子供だからこそ私の思い通りにしたい」などと不可解な発言をしてきた。やはり私は母にとって単なるお人形さんでしかないのか?

 

 そして私は社会人になった。ここでも母からの恋愛禁止令は敷かれたままだった。私自身は就職した会社には正直居たくなかったのだが、会社に居る以上その会社に慣れようと必死であった。そんな私の気持ちを知ってか知らぬか母は私の入った会社に独身の男はいないのか?と今度は男探しを始めたのだ。母曰く「一流企業だし、そこにいる男の人は一流大学も出ているから将来安泰!」とのこと。勝手にそんな理想論を並べられてもこっちにとっては傍迷惑でしかない。無論母の考えは当事者である私を差し置いてである。本当に迷惑以外の他ならない。そして私が会社の話をするときまって「その人って独身?どこの大学出てるの?東大?それとも京大?」などと私に尋問を始めるのだ。極めつけは私の部署に旧帝大出身の人が来ることになったという話を私が母にすると「どんな人なの?この人独身でしょ?彼女いるの?」といかにも自分が恋をしているかのような発言が相次いだ。

入りたくなかった会社であっても私は男探しに会社に行っているわけじゃないし、と戸惑ったものだ。母は私をその会社に無理矢理入社させたのも、母の理想の相手と私を結婚させようと必死だったのかもしれない。そして母は私を会社以外の男の目に触れさせまいと必死になっていた。美容院に行って担当になる美容師さんですら「男はダメ!」と言っていたぐらいだ。

 

実はそんな母から離れたい、実家から離れたいという思いや恋愛禁止令や行動の制限に嫌気がさして私は20歳の頃にかりそめの彼氏を作り、強制的に結婚してすぐに離婚することで実家を離れるという計画を立てていた。相手は友人の彼氏の友人。そしてその男は母の理想の相手とは間逆であり、専門卒の21歳で職業はフリーター。実家は借家住まいで決して裕福ではない。私はそこに目をつけてその男を「かりそめの彼氏」にすることにした。無論その男に対して愛情があるわけではないので、最後まで体の関係は持たなかった。加えて私はその男と付き合っていても正直その男に対しては「気持ち悪い」と思っていた。とりあえず私の目標が達成されれば奴は用済みであるので、それまでの辛抱だと我慢していたのだ。そんな中で私の新しい生活に向けての計画も始まっていたのだ。部屋探しから始まり、実家から独立するための準備が着々と私の中で進んでいた。不動産屋も何軒もひとりで回った。家電や家具を見て回ったこともあった。そして人生初の大掛かりな家出をするために住民票はどうすれば・・・なども調べまわった。そんなある日、母に友人との電話を聞かれてしまい私に彼氏がいることがばれてしまった。そこで仕方なく私は両親に彼について話をすることにした。その時はこういう人とただ付き合っていることだけを話していたが、両親の中では勝手に結婚などそういうところにまで話が進んでしまって、結婚はさせられないし、そんなフリーターのろくでなしとはすぐに別れるべきとまで言われてしまったのだ。だがこれも私の想定の範囲だった。父に至っては「そんなろくでなしと結婚したら近い未来一家心中するのが目に見える」とまで言われてしまった。けれど、これもあと数ヶ月・・・。と私の中では考えていたのだが。ここでいう計画というのは、その「かりそめの彼氏」と結婚し、すぐに離婚して逃走するというもの。場合によっては未入籍のまま私が逃走するというものだった。そのために私ひとりが住むための新居を探したりしていたのだ。そして「かりそめの彼氏」とも表面上の恋人を演じていた。そんな計画を私が立てていたなど、相手は知る由も無いのだが。

それからというもの、母からはほぼ毎日のように「あの男とは別れろ!」と時間を問わず言われる始末だった。正直母に対して怖いという感情もあったが、ここではとりあえず「別れない!別れる理由なんてない!」というように表面上取り繕っていた。だが、母はそこでも「あなたにはあなたをリードしてくれる人が似合う!」など、自身の理想を私に押し付けてくるのだ。

正直そういう理想ばかりを私に押し付ける事にうんざりしてこういう事になっているのに気づかない母を哀れだとも思えてきた。そんな中、友人から自宅に電話が来てそれを母が取った。そして母は私がその男と付き合っていることを話して友人からも付き合いを止めるように言って欲しいと電話口で友人に話をしていた。友人本人も相当戸惑っただろう。そして電話が終わって母は私に友人の悪口まで言い始めて私まで本当に嫌な気持ちにさせられた。ちなみにその友人はいつも用事があれば私の携帯に電話をしてくるのだが、その時彼女は自身の携帯が壊れてしまったことで私に伝えたい用件(急遽海外出張に行くことになったので1週間ほど連絡がつかなくなるというもの)が出来て自宅に電話をしてきたという当たり前の事だったのだが、母はこれに対して「海外出張することを自慢するためだけに電話してきた!あの女はいつもあんたのことを見下していたからそれもあるよね~。そんな女と関係している以上、あんたの男なんてその程度。本当にいつも隣には男がいるような感じだし、盛りのついた猫みたいな汚い女!そんなのとあんたを一緒にしておくわけにはいかないの!」など、ここでも悪意のある物言いをしてきた。だがここでも私は折れなかった。幸い私は月に1度2度ぐらいしか相手には会っていなかったので私の家出計画は着々と進んでいた。

だが、ここで私は大きなミスを犯してしまった。ある日仕事で市役所に用事があったので、ついでに婚姻届と離婚届を貰ってきた。というのもどちらも今回の家出に使うため。婚姻届に相手にサインしてもらって私もサインをして、そして戸籍を取り寄せて役所に出せば・・・、と。加えてその翌日あたりに離婚届を出せばいい!と考えていた。その後私は事もあろうかその役所からもらってきた婚姻届と離婚届を自室に置いたままにしてしまい、私が不在の時に母が勝手に部屋に入って家捜しをして、それを発見してしまったのだ。本当に迂闊だった・・・。

ちなみに当時成人していた私が勝手に家を出て実家の戸籍から抜けて新たに自身の戸籍を作るということが可能である法律の存在をその時の私は全く知らなかった。その当時その法律の存在を知っていればどんなに楽だったか・・・。 

 

そしてその年の年末、兄が我が家に帰省していた。その時に母が相手のことを兄に話してしまった。無論ここでも母は私たちを別れさせようと必死になっており、私と取っ組み合いの喧嘩にまで発展した。母は私の部屋の物を手当たり次第に投げて壊し、部屋の中は大惨事になっていた。室内灯の電源コードも引きちぎられてしまい、お気に入りのカップも割られてしまい、愛用していた目覚まし時計も母が投げた衝撃で文字盤のガラスが割れて使い物にならなくなってしまった。

そして母は私に向かって「お母さんの言う事を聞かないんだったら、今すぐあんたの籍を抜いてやる!あんたとはもう親子じゃない!お母さんはあんたのためにと思ってあんな男とは別れるように言っているだけなのに、なんであんたはお母さんの言う事を聞いてくれないの?お母さんの言うことを聞いていれば間違いないのに・・・」と泣きながら怒鳴りつけた。母は私を言いなりにしたかったのだと思う、それも母自身の自己満足のためだけに。私はやはり母の理想の人形でしかない。それだけに私はここでも折れるわけにはいかなかった、というのもここで私が折れたら家出計画は台無しになってしまうと考えたからだ。

兄はそこで私に「今からお前の彼氏に電話をする!だからお前の携帯を貸せ!」と言って私から携帯を受け取ると、そこで相手に電話をし始めた。そして翌日会う約束をして電話を切ったのだ。兄曰く「俺が話をつけてくる!」ということだった。この日私は自室に監禁され、兄や母からずっと説教され、翌日は仕事だというのに母と兄に夜中の3時ごろまで説教をされて寝かせてもらえなかった。ここでは電話は携帯を解約して全部自宅にかけてもらうようにしろ!とまで言われた。そして別れると私の口から聞くまでずっと部屋から出してもらえなかった。まさに拷問だった。 

翌日、兄は予告どおり相手に会って話をしてきたのだ。兄が言うには「あの男はやめておけ。挨拶もろくに出来ない、人の話を聞くのに人の顔を見ない、話に集中しない」など、好印象は持たなかった。反対に私はそんなことはどうでもいいと思っていた。全ては家出するためだと考えていたうえに、私の計画のためだけに付き合っている相手に対して愛情など皆無だったから。無論本当にその相手と結婚生活を・・・なんて微塵も考えていなかった。私はただ相手を利用していただけだったが、これで私の考えた家出計画は振り出しに戻ってしまった。その後相手には母のいる前で「別れる」と電話をいれさせられた。「かりそめの彼氏」との関係が終わったことに対して、正直安堵する自分もいた。だが、それよりも家出ができなかったことが悔しかった。 

ここで両親は私の車も買い替えるように言い出して、突然行きつけのディーラーへ私を連れて行き、欲しくもないような車を買うように言いつけた。私は最初「今の車で充分。事足りている」と言って断ったが、特に母が「あんな小さい車じゃ。それに前の男があんたの車見つけたら最悪でしょう?職場でも追いかけられるに決まってる」とまで言い出して半ば無理矢理契約させられてしまった。無論車の購入代金を払うのも私。もう最悪だった。かりそめとは言え彼氏と別れさせられる、欲しくもない車も買わせられる、就職先も勝手に決められてしまった。ここまで来て私は本当に親の言いなりでしか生きていけないのか?と疑問に思わない日が無かった。

 

そして「かりそめの」彼氏と私は親に脅迫されて無理に別れさせられたという事実に嫌悪感を持つようになり、「別れさせられた」という事実の記憶ではなく「付き合っていた人はバイクの事故で亡くなった。即死だった」「付き合っていた彼氏は台湾の人」「20歳の頃に住んでいたのはロサンゼルス。語学学校に留学していた」などと偽りの記憶を自分の中で作り上げて事実をすり替えた。だから私の中にはふたつの記憶があることになってしまっている。そう、彼氏にしても就職先にしても住所にしても・・・どちらも共通すること、それは「私にはどうすることも出来ない不可抗力だった」から。 

 

この一件が済んで家出が出来なくて悲しんでいる私を見た母は「彼氏と別れて悲しくなっちゃった?それとも寂しくなっちゃったの?」と私に言ってきた。お前らが無理矢理引き離したんだろう、お前らが気に入らないからって言って!とさすがにそれは言わなかったが・・・。本当に母の人間性を疑いたくなる一件だ。

そしてここで母は私に見合いを勧めてきた。その相手は母の友人の息子。だが私はそれを断った。断ったのは言うまでも無く結婚相手も母に決められて、しかも結婚してもこれでは母の管理下に置かれてしまうと思ったからだった。だが母も引き下がらず「あのお母さんはとてもいい人なの、お母さんとも友達で~」などと自分のことばかり考えたような発言が並んだ。予想は出来たが、あまりにも酷い。そして私も何かがプツリと切れたのか・・・「あんたの知り合いの息子となんて会いたいとも思わないし、私は母の理想の相手とは一緒になりたくない。もう私も大人なんだから恋愛ぐらい自分の好きにさせろ!私はあんたの理想の人形じゃない!そんなにあんたの知り合いの息子や知り合いが気に入ってのならあんたがその家に入れや!」と母に言い放った。ここで母も引き下がらず「それじゃお母さんの立場はどうなるの?」といきなり怒鳴りつけて私の首を絞めたのだ。ここでも「私の立場」って一体何?母はもしかして私の知らないところでその知り合いの方と話をつけてしまったのか?!そうであったら恐ろしいし気持ち悪い!そう思いながらも私も首を絞められながら「もう死んでしまうのか・・・」と思った。私自身が恋愛をすることは良く思わないくせに自分が勝手に見合い話を決めてきてその話を私に持ってくるなど、どう考えても異常としか思えない。

そして見合いも断らせないという魂胆だったのだろうか。ここで母の見合い話をそのまま受けて見合いをして結婚となれば・・・それこそ私の人生は母の人生になってしまう。実に恐ろしい話でもある。だからこそ私も断ることに必死になっていた。 

 

この事件から暫くして父が夜遅くに仕事に呼び出されたのだが、すでに父は飲酒をしていたので母が父を仕事場へ車で送るというのだ。私はその日家にいてテレビで放映されていた映画に夢中だった。母から父を仕事場に送ると聞いても「あ、そ。行ってらっしゃい」ぐらいの返事だった。缶チューハイ片手に映画を観る、私の楽しみだった。そして翌日朝食を摂る私に母はこう言った。「昨日ね、お父さんにこの間のあんたの元彼の話をしたら怒られちゃって・・・。やりすぎだし、あんたが傷付いただろうってめちゃくちゃ怒られちゃったの。本当にあの時はごめんね!」と私に謝罪してきた。だが、その謝罪は決して自分が悪いと反省しているものではなく形だけというものが伝わるような軽いものだった。悪く言えば「あ~失敗しちゃった♪ごめんね、テヘッ」みたいなものである。私はそんな母にイラついたが、その場は敢えて「ふんっ、そんなこと別に気にしてないし・・・」と強がった。

自分が悪いことをしているくせに、いざ謝罪となるとただ「ごめん」と言えば許してもらえるとでも思っているのか?と本当に母の存在を情けなく思い、同時にこの結果に胸糞が悪くなった。その後しばらく母は私の行動を監視するようになっていたのだ。たとえば私が出かけた時に母親に跡を付けられた。それだけじゃなく私の会社の終業時間に携帯に電話をしてきて会社が終わった後の行動をしつこく聞くなどもしていた。もう普通じゃない、と思えてしまった。この一件で私が人間不信になったのは言うまでも無い。 

母の理想は一昔前で言ういわゆる「三高」、高収入・高学歴・高身長。それに加えてイケメンで私より年上で私を引っ張って言ってくれる人。更に加えて「職業は公務員で家は持ち家で広い土地や不動産を持っていれば尚更良い!」とのことだった。相手の職業が医者や弁護士や社長なら尚良かったようだ。母の生きた青春時代は確かに公務員がいちばんというような時代だったのかもしれない。役所の職員、教員など。そして女性は結婚したら仕事を辞めて家庭に入り、夫の実家で義両親と同居をして生活し、いつもどんなときも妻は夫や義両親を立てて数歩後ろを歩くというのが普通だっただろう。だが私が生きる時代、母の青春時代と比べて職業やライフスタイルも多様化しており、母の理想どおりではなくなっている。それに母の理想は時代遅れでもある。女性でも働くのが当たり前、結婚しても働く、正直共働きでなければ生活出来ない世帯も少なくない。専業主婦になって夫の後ろを歩く?こんな事はほぼ不可能。職業だって公務員じゃなく民間企業であっても本人の頑張り次第ではそれ以上の収入もとなるだろう。それ以前に何よりも相手との相性もあるだろう。嫁も夫と肩を並べて歩くものでもある。それだけに当時の私と殆ど年齢の変わらぬ人間でそんなに裕福でいい事尽くめな男が存在するのか?と思えてしまう。たとえ医師や弁護士であってもまだまだ新人か研修医ぐらいだろう。弁護士であってもまだまだ新米、社長であっても「年収数千万」とまでは行くはずが無い。

母曰く相手の出身校も名の知れた一流の大学でないといけないらしい。旧帝大だったら文句は無い。本当にそれだけでいいのか?とずっと考えていた。お見合いならそういう条件を出して、という事も確かに可能だったかもしれない。だが私は結婚まで親の言いなりになるのは御免だとずっと「お見合いお断り」というスタンスを保っていた。だが母の理想はこれだけではなかったのだ。いくら相手が三高であっても性格が暗い、顔が悪いなどそういう事になれば母の理想にはならないのだ。全く持って理不尽である。じゃあジャニーズ並みのイケメンで三高だったら問題が無いのか?というところである。そしてたとえば私が一流企業勤めや公務員、医師や弁護士で母のお眼鏡にかなう相手と結婚したとしよう。結婚後に相手のDVや外に愛人を作ったなど、そういう不祥事が発覚したとしてもきっと母がそれを見ても「あんたがちゃんとしないからそうなる!」などと離婚も許さなかっただろう。本当に鬱陶しく迷惑な話である。