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Darkness world -ある捻くれ者のつぶやき-

高坂はる香です。私の幼少期からの出来事をエッセイ形式で書いていきます。(ちなみにこれは全て私の心理カウンセリングで使われたものです。虐待などの内容を含むため、閲覧にはご注意ください)

女帝の夢

前記のとおり幼い頃から・・・特に母にとって私は単なる人形だった。

前回は「着せ替え人形」というところに要点を絞って書いたが、今回はそれ以外のものを書いていきたい。

まず、私は念願の女の子だったらしい。だが現実はとても矛盾しているもので、兄は長男だからと家族から常にちやほやされてもてはやされ、私は女だからと見下される毎日。持ち物も兄よりいいものは持たせてもらえない、学校に必要なものは殆ど兄からのお下がり、何かと兄と比較される日々。それのどこが念願なんだか、と首をかしげてしまうほどだ。

母はそんな私の前では「女帝」だったのだろう。私の言うことは何でもお聞き!と言わんばかりに私に異常なまでの干渉をしてきたものだ。それは成人してからもずっと続き、私の人生を台無しにした。二十歳すぎた娘にまで「言うことを聞きなさい」などと、本当に異常だった。

 

母は常に私をお人形のように飾り立てて幼稚園に通わせ、そのあたりから習い事三昧な日々を送らせた・・・、それ以外にも母は私に常日頃から自身の理想を押し付けるようになっていった。

母の理想の私、体型はモデル体型、学校ではいつも成績優秀で人気者、自分好みのファッション、将来は市内一の進学校へ通い一流大学を出て一流企業に就職、それか公務員。結婚まで実家住まい、結婚まで純潔、親の理想のお見合い結婚など。

どうしたらこういう未来予想図を描けるのだろう、しかも母自身ではなく私に。そもそもモデル体型というところで無理だろう、私自身成人しても身長は155センチしかないのだ。体重は除いても身長だけでもショーを歩くモデルとは程遠い。今は読者モデルなどモデルといってもたくさんのジャンルはあるけれど、私が過ごした青春時代のモデルといえば160センチ以上が最低条件であったのだ。それに当てはめても私の身長では無理。我が家は長身の家系ではないことも影響しないはずがない。だからモデル体型を求めるのは私にとっては非常に迷惑な話である。私も今現在までモデルになるなんて考えたことすらない。むしろ私は幼い頃からもっと現実的な考えを持っていたのだろう、幼稚園児の頃から中学まで美容師になりたいと本気で思っていたぐらいだ。それ以外では母はやはり私には母自身の好みの服装をさせるべく必死だった。それも小学校高学年あたりから・・・。小学校中学年あたりまでは前章でも書いたとおり常に誰かからのお下がりばかり。母の押し付けもあって、私の夢はいつの間にか公務員になってしまっていた。私は私で別の夢があっても、結局は母の理想は公務員でしかなかったのだ。そして結婚までは実家住まいをして母のお気に入りの人とお見合い結婚という、「いつの時代ですか?」と聞きたくなるような母の未来予想図。そしてそれがダメならと代替案を次から次へと持ってくる。そしてそれを否定する私に対していつも母は自身の過去の話を持ってきては私を何とか説得しようかと必死になってくるのである。同時に私の同級生、それも成績がいい子に限定してその子たちと比較したり、近所の子と比較するなど、何をしたいのか正直分からなくなるようなことも平気でしていたのだ。

 

母は市内のある普通科高校を卒業後、東京の幼稚園教諭養成所へ行き幼稚園教諭の資格を取得後に横浜の幼稚園で3年ほど勤務していた。その後退職をして生まれ故郷である現住所の市内へ戻り、地元でも幼稚園教諭として働きたかったそうだが、募集には年齢制限があって母がそこで働くことは叶わなかったそうだ。その後幼稚園教諭とは関係の無い仕事をしていたようだが、やはり幼稚園教諭には未練があったようだ。そして父と見合い結婚をして私たち兄妹を産んだ。父はその当時にはすでに曽祖父の代から続く会社で働いていた。

母は私の進路の話になると決まってこの話をしてきた。もう何十回も聞かされた。母曰く「後悔の無い生き方をして欲しい」、だがそれは間違った方向に進んでいたことは言うまでもない。母も死ぬまで気づかなかっただろう。母は私には苦労をさせたくないと思っていたからこそ、家庭内では「女帝」となり常に干渉をし続けていたのだろう。だが過干渉ほど迷惑なものは無い、私にとっては。干渉を続ければ続けるほど私の人生は狂っていった。

 

結局母は私を母の理想どおりの人形に育て上げたかったとしか言いようが無い。

 

母は常日頃から私を誰かと比較することが多かった。学校の友人、近所の友人、従姉妹、母親自身とも。そして誰よりも優秀で自分好みのキャラクターになるように、いつもコントロールをする。私はそれが嫌だった。モデル体型になれというような無理な要望から始まって少しでも私が太ると「太ったね~、痩せるのにダイエットさせなきゃ!」と躍起になることもあった。それは私が小学校低学年の頃でも普通だった。それだけではなく成人してからも少しでも私が太ったと思えば容赦無く「痩せろ痩せろ」と聞こえるように言ってきた。食事の内容にも口を挟み、一日3食豆腐だけという日もあった。それから効果があるのか分からない高価なサプリメントを買わせられたりもした。それでも痩せないとなれば今度はスポーツジムに行けとしきりに言い出し、しまいには「こっちでお金は出すからジムに行け!」とまで言い出す始末。小学校高学年の頃、一度だけ雑誌に載っていた痩身エステの広告を母に見せて私は

「痩せろというんだったらここに連れて行って!ここだったら痩せられるかもしれないでしょ?」

と母に提案したのだ。だが母はそれを見て

「こんなの無駄。楽して痩せようなんて考えないで!それにお金もかかるでしょう?」

と却下したのだ。痩せろと人に言うくせに矛盾した対応だ。

母は自分が太っている(身長145センチで体重は76キロ)くせに、私には常日頃「痩せろ」と言う。自分は痩せる気が無いらしく、私は一度

「自分も太っているでしょ。それなのに人に痩せろだと?痩せる気もないような人に言われても何の説得力もないから。それから痩せるも太るも私の勝手だと思うけど?」

と言ったことがある。それに対して母は

「ちょっと!何で50代の私と比べるのよ、あなたとは全然違うの!あなたはいちばん綺麗でいなきゃいけない時にそんな太って醜い姿で・・・私は情けない」

などと泣き落とそうとする始末。要は自分はよくて人はダメという思考。ちなみにこの頃の私、BMIは正常値だった。

私に対して太った太らないの事だけではなかった。母はしきりに私に「補正下着を買いなさい!」と言ってきたものだ。私は締め付けられるのがこの頃でもすでに苦手で補正下着も付ける気が無いので、それを伝えたら

「いいのいいの、少しでもスタイルよく見られるからつけるべきなの!」

と強引に私に押し付ける。そして自身は高額な補正下着を買ってきた。それでこれ見よがしに「これを着けたらね~、私も少し細くなったの!」と私の前でわざと言うのだ。正直母の見た目は変化が無い。どう見ても胴体部分はドラえもんのようだった。それを見た私は「あーはいはい、興味ありませんけどね~」と流すようにしていた。だが、それだけで済むわけもなく、母は私を無理矢理下着屋に連れていき、店員にサイズを測らせて補正下着を私に買わせようとしていた。結局私は母を店に置いて逃げて事なきを得た。その後帰宅して母に

「恥をかかされた!あんたのことを思ってやってやったのに!親不孝者!」

と思いっきり怒鳴られた。そして1週間ほど口を聞いてもらえなかった。けれど私はそれに後悔は無い。

母の理想、それはモデル体型だけではなかった。将来の夢も結婚も全て・・・。

 

母は父とは見合い結婚をした。それだけに見合い結婚が自身の中で一番なのだろう。そのせいか私にもしきりに見合い結婚を勧めていた。それも私が小学生の頃から。母の理想の見合い結婚、私と見合いする相手が自分たちの知っている人間のご子息であれば安泰とでも思っていたのだろう。だが私はしきりに見合い結婚を勧める母をずっと見ていたせいか、逆に見合いなんて糞食らえ!と思うようになっていった。同時に結婚まで親に決められるなんて私の人権を無視してる!とも・・・

見合い結婚をした母だが、母は学生時代に交際していた相手はいたようだ。その相手は警察官。なかなか上手く関係は続いていたそうだ。だがある日、母が横浜から実家に帰省したときに実家に母も知らない女性から電話がかかってきたというのだ。その電話の内容は「私は○○(名前を名乗ったそうだ)、あのね、あなたとお付き合いされている○○(母の当時の交際相手)との子供、私、最近堕胎したの!」というものだった。母も気が動転したようだ。無論その相手とは別れてしまったようだが、おそらくこの一件から母は見合い万歳!という考えになったのだろう。別に恋愛結婚がいい、見合い結婚の方がもっといいと思うのは個人の都合だが自分の娘にまでそういう考えを押し付けて欲しくなかった。実はこの話、私には何度もその話をしてきたのだ。それも決まって私に交際相手がいると分かっているときに。

そして中学からずっと私に恋愛禁止令を敷いていた。母曰く「悪い虫が寄ってきたら受験に響くから」と。何としてでも私には見合い結婚で自分の知る相手と結婚して欲しかったのだろう。結果的には私は見合いをすることは無かった。母が亡くなってから自分で自分にふさわしい相手を見つけ、その人と結婚したから。

 

見合い結婚の押し付け以外にもいろいろと将来のことは母に勝手に決められた。将来の夢なんて何度もぶち壊された。

私はずっと美容師になりたかった。美容師になりたいと思ったきっかけは、5歳の七五三の時に近所の美容院で美容師さんにすごくきれいにしてもらったこと。着物を着付けてもらって髪もきれいに結ってもらいきれいなかんざしをさして、メイクもしてもらった。そして美容師さんもとても優しいお姉さん。その姿を見て私もこうして人をきれいにしたい!と考えたから。小学校に入っても中学にあがってもこの考えが変わることは無かったのだ。小学校低学年の頃、母親も私が美容師になりたいと思っていたことは知っていた。だが恐らくこのあたりではまだ「大きくなったら何になりたい?」くらいにしか考えていなかったのだろう。そして私が小学校中学年の頃にある漫画に出会い、漫画家にもなりたいと思うようになった。けれど美容師の夢を捨てたわけでもなく、その頃は「どちらかになりたい」と思っていた。小学校時代の作文にも美容師か漫画家になりたいと書いていたぐらいだった。だが中学に入り、当時通っていた学習塾から進路のアンケート(記名式)が届いた。そこで行きたい学校や将来の夢など書く欄があり、私は美容師と書いた。得意科目の欄には「国語、英語、社会」、進学したい学校の欄には「第一希望・美容専門学校」と書き、将来の夢の欄には「美容師」とはっきり私が書き込んだ。だが、それを見た母は激高して

「何なのこれ!得意科目が英語でなりたい職業が美容師?!バカなの、あんた?これちょっと問題だから学校と将来の夢はこっちで書き直すから!美容師で英語なんて話さないでしょ?」

と私からアンケート用紙を取り上げてすかさず書き直しをしてしまったのだ。そこに書かれていたものに、私は愕然とした。進学したい学校「○○女子高校(市内一の女子高。進学校)」将来の夢「英語の先生、公務員」と書き直されていた、しかもボールペンでデカデカと。それを見て本当にショックだった。将来の夢まで親に決められるなんて・・・、と。母曰く

「公務員だったら将来が保障されてるんだよ、だって役所はつぶれないし。それにお給料だって安定よ。そして公立の学校の先生だったら得意科目が活かせるし」

と、まるで自分がその職業になりたいかのように私に押し付けたのだった。

だが、私は美容師になる夢は中学校3年までずっと捨てなかった。何としてでも美容師になってやる!と本気で思ったぐらい。しかしこのあたりになって漫画家も捨てがたいと思うようにもなっていた。そこで思いついたこと・・・、それは「美容師にはなるが絵を描きながら美容師をやる。そしてお店の外観や内装も自分好みにして自分の描いた絵を店内に張り出して。自分のお店を持ちたい」と考え出した。今で言うプロデュースに近いものがあった。だから表面では進学校に進学したいと思わせておいて実は高校へは進学せず美容学校に進学して美容師になろうと裏では動いていた。だが、それも失敗に終わる。中学二年の終わりに学校で個別進路指導というものがあったのだ。親が同席して先生と進路相談をするというものだった。私はひたすら「美容師になる」と主張していた。だが、母は「違います、この子はずっと学校の先生になりたいって言っていました。だから将来は学校の先生になりたいから○○女子高校に進学してそして地元の大学に進んで・・・」と勝手に話を進めてしまった。しまいには私を嘘つき呼ばわりまでして。そして進路指導が終わって帰宅、そこで母からのお説教が始まった。美容師になりたい私に対して母は

「あんたはバカなの?私に恥をかかせるの?美容師は中卒のバカでもなれるからあなたはちゃんと大学へ行って先生とか公務員になりなさい」

「うちでは中卒は認めない」

など、私の夢を全否定するような話がずっと続いた。おかげで私は意気消沈してしまい、美容師の夢を諦めざるを得なくなったのだ。結局私は母のわがままのおかげで自分の首を絞めた。今でもその悔しさは忘れていない。

そして「学校ではいつも成績優秀」、これについて私の成績は中学校3年生の時点で学年390人中常に50番から70番程度にいた。悪くても120番ほどだった。私はそれでもいいと思っていた。現状でも十分に中堅レベルの高校に行ける偏差値はあったからだ。美容師の夢をなくした私だが、最初は絶望していたものの「中堅ぐらいの学校に進んでおけば親も何も言ってこないだろう」と考えるようにもなっていた。そしていざ受験する学校を決めるとき、市内の私立女子高の専願推薦を受けないかと学校から持ちかけられた。親もそれを望んでいたらしく、そこの学校を受験することを即決した。私は「とりあえずそこに受かれば文句は言われないか」くらいに考えていた。別に本気になるわけでもなく・・・、そう考えたのも、その時までは。結局そこの私立高校は不合格だった。そこで私は結果を聞いて担任の先生に相談、そして次は隣の県にあるキリスト教系の高校の推薦を受けてみないか?と持ちかけられたのだ。私自身もそこの学校には少しの憧れがあり、自宅からも通える(電車で1時間弱ほど)距離であることもあり、ぜひとも推薦を受けたいと先生から願書をもらってその日は親に相談すると言って帰宅した。だが両親に相談したところ、猛反対をされてしまい残念ながら諦める結果となった。親が猛反対した理由というのは

キリスト教の学校なんてキリスト教徒が行く学校だ!」

「家から電車で1時間もかかる、そんなところに通うことなんて出来るはずがない。途中で近所の○○ちゃんみたいに学校に行かなくなるだろう」

「そんなところに行くんだったら勘当する!」

と。実は兄はこのキリスト教系の学校を滑り止めで受験していたのだった。またここでも兄はよくて私はダメという理論になったのだ。

そして結果的には県立高校を滑り止めなしで受験することに。そこでも母がまたしゃしゃり出て面倒なことになったのだ。やはり母はここでも私を母自身の思い描くレールに乗せようと必死だったのだ。最初の出願先を私に無断で変更してしまったのだ。理由は

普通科高校に行くよりも高校で手に職をつけたほうが将来に有利だから!」

と息巻いて、出願先変更の締め切りぎりぎりになって勝手に出願先を変更した。それについて抗議をしたが、母は私の言い分を全く聞かず上記の持論を展開するばかり。挙句の果てに「お前はバカだからそっち(元の出願先)は落ちるに決まっている!だからこれでいいんだ!」などと私に自身の責任を転嫁する始末。あまりのお粗末な事態に私は母の変更した出願先の学校を受験せざるを得なくなった。ただ、私はそこへは行きたくなかった。だからと言ってわざと面接で落ちるような演技をしたり、試験を白紙で提出して不合格となればまた何を言われるか・・・、そちらの方が怖くて仕方がなかった。それに中学浪人となれば母から何を言われるかはもう想像がついていたからだ。

母の望む進学先に進まなければいけない、中学浪人も出来ない、まさに八方塞がりだった。面接での受け答えも母がシナリオを準備してそれを私がただ話すようなものとなってしまった。家でも面接の練習を何度もさせられて苦痛だった。とりあえず無理矢理出願先変更をした学校には合格した。母は自分のことのように喜んでいた。だが私は正直嬉しくも何とも無かった。嬉しくなかったけれど、合格通知を受け取り、その日は帰宅。だが帰宅する道中で母は私にまた信じられない一言を言ったのだ。

「あんたが受かった学校って情報系だけど市内一の進学校並みの成績じゃないと入れないのよね、だから従姉妹に勝てた!お母さん嬉しいの!自慢できるわぁ~!」

何のための受験だったんだろう・・・。私の中で更にモヤモヤな気持ちが出てきた。結局は母の思う壺?それとも私は母のために生きているの?と。

母の夢をかなえるべく私は完全に母の操り人形と化してしまったのだ。高校受験もその一部でしかない。