Darkness world -ある捻くれ者のつぶやき-

成瀬香織です。私の幼少期からの出来事をエッセイ形式で書いていきます。(ちなみにこれは全て私の心理カウンセリングで使われたものです。虐待などの内容を含むため、閲覧にはご注意ください)

幼少期の楽しい話

私は産まれてから4歳になるまで現在の実家の場所とは違う場所に住んでいた。

いかにも昭和の団地というような区画内の小さな長屋に父・母・兄・私の家族4人で暮らしていた。そしてその団地には数軒の同じタイプの長屋があり、私たち一家と同じように4人家族の家庭があったり老夫婦が静かに暮らしていたりと、いろいろな家族が住んでいたものだ。だけど、その界隈はいつも平和でご近所さん同士もみんな仲良しでお互いの家を行き来していたり、大人が近所で立ち話や井戸端会議をするなどいたって普通だった。

 そして私たち兄妹は裏の長屋に住む兄妹や近所の家の子供たちと朝早くから日が暮れるまで遊んでいたものだった。ある日は裏の家に上がりそこで一日過ごしていたかと思えば、雨が降って出来た水溜りで泥だらけになって遊んで服を汚しては母に怒られたり。毎日が本当に楽しかった。特に裏の家に住んでいた兄妹(兄は私より3歳上、妹は私より1歳上)とは本当のきょうだいのように毎日楽しく遊んでは一緒におやつを食べたり昼寝をしたり・・・。時にはどちらかの家で夕飯を一緒に食べていたり。親同士も仲が良く、いつも何かと持ちつ持たれつの関係を保っていた。それだけじゃなく同じ団地に住む家族たちで仙台へ旅行したこともあった。

実は私のいた団地は偶然にも同じぐらいの歳の子供たちがどの家にもいるような状態であったため、親同士もお茶のみと称しては子供を連れてお互いの家を行き来したり子供たちだけでお互いの家で遊ぶこともしばしばだった。だからどこかの家で母親が用事で外出するとなれば交互に子供たちを預けあっていたこともあった。そのためか、ひとつの家に数軒の子供が集まることも普通だった。そして集まった子供たちは長屋の大家さん宅の広い庭を公園代わりにそこでよく走り回っていた。大家さんの庭で遊んでいたかと思えば、家の近くの私道で三輪車や自転車で遊んでいたりして、時には自転車ごと転んでしまい唇を切るケガをしたりもした。

近所の縁日にも行った。縁日も裏の家族と我が家が一緒に行った。そしてそこで買ったひよこを兄と裏の家のお兄ちゃんが一緒に育てていた。そのひよこは私の母方の祖父が作った小さな鳥小屋で飼っていた。ひよこが大きくなると、鶏ではなく軍鶏に育ってしまい、ここでは飼えないということになって近所の養鶏場に引き取ってもらうことになった。そのような楽しい毎日を過ごしていたのだ。

 

私が物心付いた頃には父は既に厳しい人、いつも怒っている人というイメージであり、母はご飯を作ってくれたり長く一緒にいる人であるというイメージだった・・・母については引越しをする前までは。

父はこの頃から怒るとすごく恐いという印象であり、いつも怒っていたように覚えている。たとえば夕食の時間に食べるのが遅いと、まだお皿に食事が残っていてもそれを窓の外に捨てるなど。それだけじゃなくその度に私たち兄妹を怒鳴りつける。母は子供たちの前ではいつも笑っていた、ただ父が私たちを怒るときはそれを黙って見ているだけ。たとえ父が私たちに手を挙げて流血をしても何もしないのだ。

父はその頃には既に曽祖父の代から続く会社(重機屋)を継いでいた。朝は早い時間に出勤して昼休みは家に帰ってきて昼食を食べてまた会社へ戻り、夜7時前には帰宅するという毎日だった。うっすら覚えているのだが、その時の父は「おかえりー!」と兄と私が帰宅した父の元に駆け寄ると一緒に遊んでくれたりもしてくれた。どんなに厳しくてもこうして兄とも私とも分け隔てなく遊んでくれたり、車に乗せて近くのスーパーに連れて行ってくれたりというやさしい一面もあってか、当時は父が大好きだった。母も父が私たちに厳しく接するときに何もしなくても、その他の場面ではすごくやさしい印象しかなかった。たとえば近所の子供たちがみんなで集まって遊んでいた時にみんなに手作りのおやつや昼食を食べさせてくれたり、ニコニコしてエレクトーンを弾いて歌を教えてくれたり。時にはいろいろな童謡もたくさん聴かせてくれて、絵本もよく読んでくれた。

そんな母は若い頃、横浜で幼稚園の教諭をしていた。そのせいもあってか子供が大好きな人だった。いつも近所の子供たちにも、親戚の子供たちにも分け隔てなくやさしく接していた。厳しい面があっても当時の母は私たちに自身の理想像を押し付けることは無かったと記憶している。

前記のとおり父も厳しい面があっても私たち兄妹は父が大好きだった。私たちが熱を出したなら仕事をしていても家に戻ってきて私たちを病院に連れて行ってくれたりもした。うろ覚えではあるが、父が幼い私を抱きかかえて病院へ連れて行ってくれたことを未だに覚えている。そこでオレンジ色のシロップの薬を貰ってきたことも。そして家に帰ってその薬を飲んで次の日には熱も下がっていた・・・。嬉しかった。こんな気持ちでずっと過ごせればどんなに幸せだったか。

 

そんな生活が、引越しをしてからガラリと変わってしまった・・・。