Darkness world -ある捻くれ者のつぶやき-

成瀬香織です。私の幼少期からの出来事をエッセイ形式で書いていきます。(ちなみにこれは全て私の心理カウンセリングで使われたものです。虐待などの内容を含むため、閲覧にはご注意ください)

ハサミと赤い糸と俺

まず…

赤い糸→私が相手を愛する気持ち、恋をすること

ハサミ→我が両親および兄

 

私かて若かりし頃は沢山恋愛をしてきました。そりゃそうですよ、いち若い娘でしたから。

けれど恋愛をしているとなると、必ず親(特に母親)の監視が入るのだ。ひどい場合だと相手の人の身辺調査をしたり、例えば会社の社長や役員、その息子が相手であれば会社を調べるために商工リサーチに問い合わせてまで相手のことを調べあげて両親揃って品定めをするという最悪なパターンもある。

更にはすでに成人している娘のことを実家に縛り付けて勝手に門限を決めてデートをさせないなど、そういう規則ばかりを作る。

もちろん当方はそれを良しとするはずもなく、成人しているのだからその辺は理解してほしいと一人暮らしをしようかと物件を探したりもしていたが、母親からは泣きつかれる、マザコンの兄からは出ていかないでくれと懇願され、どんな手を使ってでも阻止されるという悪循環に陥る。

しまいにゃ夜10時頃に家に帰宅した時、父親が玄関に出てきて私を怒鳴りつけたて、リビングにあったミカンや玄関にあった置物を私に投げつけてきたうえに私に殴りかかったのだ。

私は怖くて家から逃げたのだが、無理やり引き戻されて説教を食らう羽目に。私だけじゃない、当時の彼氏に対しては「今すぐここに連れてこい、ぶっ殺してやる!」とまで。ここまでくると父も母も正気ではない。

今思うと両親は私はただの両親の体裁のための飾りでしかないのだろう。そうじゃなければ実家にいることを強制したり、一人暮らしを阻止したり、就職にしろ進学にしろ地元にはこだわらないだろう。むしろ一人暮らしさせたり、遠方の寮に入れたりと子供を巣立たせるのが親の役目のはずである。

それなのに成人している娘の行動を制限してりなんてけしからんものだ。私は両親の世話をするために生まれてきたんじゃない、私は両親の墓を守るために生まれてきたんじゃない、私は自分の人生を後悔のない生き方で全うするために生まれてきただけなのに。

 

これだから私が誰かを好きになってもその赤い糸は両親によってぷっつりと切られてしまうのだ。だから私はコソコソと付き合うか、男遊びに走ってしまったのだ。

ただ一緒に食事や買い物をするだけ、体を重ねるだけとか、本当に虚しくなることばかり。ただ、当時は体を重ねるだけでも幸せだった。中には自分より10歳近く年上の人もいた。その時だけは仕事も親のことも全部忘れられたから、本当に幸せだと思っていた。けれどいざ行為が終わって別れてみると、虚しさしか残らない。そんでそのうち私は要注意人物となってしまう。

だけど私は体を重ねるだけの相手からは金品は一切もらっていない。なんだろうな、都合のいいセックスワークみたいなものだったのかもしれない。矛盾しているけれど、その都合のいいセックスワークも後悔などない。

そして買い物や食事をともにする男性にはいろいろと買ってもらったり、食事をおごってもらった。高いレストランや料亭にも行ったし、ブランドもののバッグや服を買ってもらったりもした。もちろんこれだって虚しさしか残らないけれど、ただ「大切にされてるんだなぁ」というその気持ちに浸りたい。それだけだった。

 

なぜそうなるか…

恋愛をしても親から無理やり別れさせられ、身辺を調査され、無理やりお見合いを取り付けられたりと、そんな事ばかり。

だからこそ私は本当の愛が欲しかった。けれど今の旦那と出会ったのは、本当によかったと思っている。運良く今までの元凶だった母親が亡くなった後だったから。それと私の留学で日本とカナダとの遠距離恋愛を貫けたこともよかったと思っている。

私がカナダ、旦那が日本でも、貫いた。本物の愛だからだろう。それに旦那は私と付き合う時には既に私がカナダに留学することが決まっていたのだが、それでもいいとカナダ留学を後押ししてくれて、応援してくれた。両親や兄よりも応援していたのだ。

本当は両親がすべきことを旦那はしてくれている。本当に嬉しいし、私はその時人の心の暖かさに触れた。

ここからは私の赤い糸を切る者は現れなかった。むしろ強固な一本の赤い糸だったんじゃないかな?そう思う。両親やストーカーにあったこと、旦那と付き合う前に理不尽な理由で失恋したこと、旦那はそれを受け入れてくれて私がたくさん泣いたこと、私が原因不明のウイルスで消化器官をやられたときもずっと付き添ってくれていた、カナダ留学にも笑顔で送り出してくれて、毎週テレビ電話をしたり、本当に心配になった時は国際電話をしてくれた。帰国してからもすぐに両親に紹介してくれて、うちの親やお兄ちゃんにもあってくれて同棲も始めた。結婚するまでに赤い糸はハサミじゃ切れないほど強いものになっていたのだろう。