Darkness world -ある捻くれ者のつぶやき-

成瀬香織です。私の幼少期からの出来事をエッセイ形式で書いていきます。(ちなみにこれは全て私の心理カウンセリングで使われたものです。虐待などの内容を含むため、閲覧にはご注意ください)

くだらない理由があります。

私がまだ幼稚園に通っていた頃の話。

その頃私の実家付近の治安は普通に良かった。幼稚園児の子どもたちも普通に家から離れた公園で遊んだりしていたぐらいだったし、それを見て変な気を起こす大人もいなかった。

だから私も幼稚園児の頃から家から少し離れた公園に一人で遊びに行ったりもしていた。

そこで何人かの同じ学年の友達が出来た。もちろんその子達とは小学校も同じところに通うことになっていた。毎日なんだかんだ仲良く過ごして遊んでいたことを覚えている。

 

小学校に入学してから…

突然意味も分からず同じ地域の同じ学年の子達からハブられるようになった。帰りも地域ごとに班になって帰るのだが、最初は一緒に帰っていても、途中になってから私だけ置いていかれるというもの。最悪なのは私のプールバッグを100メートルぐらい後ろの場所にわざと置いてきて、私が取りに戻ると全員で走って逃げるという悪質なもので。だから私はいつも置いてけぼりにされて一人で家に帰っていた。

もちろんその班には女の子もいたけれど、男子と一緒になって私を置いていくなどする。明らかにいじめである。なぜかその頃からいじめに遭うようになっていった。私は子供の頃から虫が嫌いだったり、ヘビが嫌いなどそういうものがあったのだが、それを知った同じ地区の同級生が、それをネタに私をからかうと面白いと言って嫌がらせレベルにからかうものだから、いつの間にかいじめに発展していった。

そんな中、前記の女の子が私に声をかけてきて一緒に遊ぼうと言ってきた。けれど私は前記のようなことをその子にもされていたので、それを理由に断るときまってその子は「あたしやってない!」と平気でとぼける始末。たちが悪いのだ。当時の私が弱虫だったこともきっといじめの原因だったんだろう。だからといってそんなものは理由にしちゃいけないけれど。

そんな中、他の地域の子たちが私が一人で帰っていることを先生に言ったようで先生から事情を聞かれた。だから私は正直に「みんな走って私を置いていく、嫌なことを言ってくる」などと話した。

そんなある日、またしても置いていかれる事件が起きて、私はとても悲しい思いをしていた。その翌日、同じ班の同級生の女の子が普通にあいさつをしてきたのだが、私はそれを突っぱねて「昨日私のこと男子と一緒に置いていったくせに。恨み持ってるからね!」と言ったらその子は私に「え?私やってないし!!男子にいじめられるからやらなきゃいけなかったの」などと訳のわからない矛盾した言い訳を始める始末。頭にきた私は学校に着いていつも仲良くしている友達数名にこの話をした。すぐに私を置いていった女子は吊し上げに遭うことになる。

時は流れて小学校五年生の終わりになり、地区子供会の会長と副会長を決めるときに私は下級生からの推薦で会長候補に上がっていた。けれどいざ決まってみたら、一年生の時に下校班で私を置いていった女子と、五年生から転入してきた女子に決まってしまったのだ。そしてわざと聞こえるように

「高坂みたいなバカにはふさわしくない!」とか「だって嫌いだから」「醜いやつにならせたくない」などと耳を疑う理由を言われていたのだ。すべて同級生から言われていて、私は悔しくてたまらなかった。はっきり言って会長か副会長になれる自信はあったのだ。というのも学校の成績もそこまで悪くないうえに、下級生の面倒も普通に見ていたし、下級生たちからの人気も得ていたのだから。それがただ同級生の男子たちが私が嫌いという理由だけで会長にさせたくないと、裏で手を回していたのが私は気に入らないし、何を基準に醜いとか言ってくるのか…人間性を疑わないはずもない。

そもそもなぜ「醜い」なんて言えるのだろうか?そして嫌いという理由だけで地区子供会の会長に選ばないとか、他の男子の下級生とかにも「あいつに票は入れるな」と命令できるのだろうか。道徳心というものが無いのだろう。おかげでこの年の地区子供会での話し合い内容だったりどんな先生が顧問だったのかも全く覚えていない。正直無関心になってしまっていたから。

そもそもくだらない、「嫌いだから」とか「醜いから」とか。それを真顔で言っていたのだから余計にくだらなく、滑稽に見えてしまう。見ているこっちが恥ずかしい。自分だって決してイケメンじゃないうえに、どう見てもニホンザルにしか見えないほどブサイクなのだから。ブサイクに醜いなんて言われても悔しくねーよ!と啖呵を切りたいところだが、ここは大人しくしておこうと啖呵は切らずにいた。

正直こんなの誰が決まっても別にいいと思っていた。ただ私が気に入らないのは「嫌い」という理由だけで重要ポジションから人を外すなど、そういうやり方がまかり通っていることが気に入らない。で、それなのに学級での雑用などは平気で押し付けるとか意味がわからない。こんなことは「してはいけないこと」で小学校1年生の道徳の教科書にも普通に載ってますけどね。

 

ちなみにこのときの会長や副会長は…

今はあまりいい人生を送っていない。それとそんな会長と副会長を推薦して票を入れた上に私を醜いと言った男子もまともな生き方をしていないし、その主犯格(以下サル)は高校の頃に堂々とキセル乗車や不正乗車をしていた。その現場は私も目撃している。

ある日最寄り駅の同じホームで私はサルを目撃したのだ。そして運がいいのか悪いのかサルと同じ車両に乗り合わせたところで私はその現場を目撃することになる。

こともあろうか、サルは電車を降りてから改札方面に向かわずに隣の線路を走って横断して、その先のフェンスを超えて駅から出て行ってしまったのだ。恐らくだがサルは駅の入場券か最低額の切符を買って、目的地まで行ったところで奴は電車を降りて駅の中の別の線路を走って横断してフェンスを超えて駅を出たのだろう。

あれ捕まったのかなぁ??と見ているこっちが思わずほくそ笑んでしまうほど滑稽なことをやらかしてくれた。無事に捕まっていることを願いたい。そもそも線路に侵入すること自体立派な犯罪であるから。

 

それとサルの腰巾着も称賛されるような人生を送っていない。

 

何が言いたいのかというと…

人をいじめる、苛めの片棒を担ぐようなことをしていた前科があるような奴は必ずバチが当たる、ろくな人生が待っていないという、そういうものだということ。社会に出て生計を立てられたとしても最低限の生計でしかないのだろう。海外出張をしたり国内でも世界から賞賛されるようなものを作る仕事にもつけないだろうし、誰かに良い影響を与える人にもなれやしないと思う。そして何か目標、たとえば何かなりたいものを目指していてもその途中の下積み生活の最中で子供が出来てできちゃった婚をしたり多額の借金をして自己破産したり、子供が生まれたとしても満足な生活をさせてやれない、変な名前をつける、家庭を持っているくせにちょっとでも劣等感を持ったなら羨ましいと思う人間や自分より気の弱いだろう人間に金品を集る、そして極め付けは過去の悪事を忘れたと反省もしない。

それからもうひとつ。いじめていた相手や自分より下に見ている人間が何かで成功しているなら必ず擦り寄ってくる、そして集る。最低だ。

 

正直そういう人間にいじめられていた私、自分の力で自分の求めたとおりの生活をしています。ここまでたどり着くまで遠回りして時間はかかりましたけど、周りの理解を得たりもしましたし、欲しい車を買ったり好きなファッションをしたりできています。安定した生活も手に入れました。きちんと自分の稼ぎでです。

海外相手の仕事に就いたこともありましたし、海外留学をして世界中に友達を作ることも、英語力をつけることも出来ましたし、理想の結婚も出来ましたし子供の頃から憧れていた海外挙式も出来て新婚旅行もハワイへ行きました。マイホームも建てて子供も生まれて幸せです。

何よりも夫も聡明で安定した仕事をしている、きちんと人に聞かれたら言える職業、夫自身も人に自慢できるような人です。

海外出張が多いこともあるけれど、それだって自慢できることじゃないのかな?