Darkness world -ある捻くれ者のつぶやき-

高坂はる香です。私の幼少期からの出来事をエッセイ形式で書いていきます。(ちなみにこれは全て私の心理カウンセリングで使われたものです。虐待などの内容を含むため、閲覧にはご注意ください)

狂った愛情からできたもの、「ひねくれ者の作り方」

母の考えが普通ではないのは誰が考えても明らかだ。

そんな中、当時23歳頃だった私は母の理想に添うことにうんざりして、母の居ぬ所で男遊びにふけることを覚えた。食事を共にする、買い物をするだけ、ただ体を重ねるだけなど、今思うと本当に信じられないことばかり。相手に対して恋愛感情など無くても「あ、この人いいな!」と思った相手に擦り寄って親しくなり、そして連絡先を聞きだしてプライベートで誘い出すという事を繰り返していた。全ては自分の心の隙間を埋めるためだけに・・・。

自分の稼ぎで英語を勉強しているのに、英語のレッスンの内容すら私の好きなようにさせてもらえない、就職だって地元就職しか許してもらえず、交友関係も監視される・・・。そんなところにいる私自身、本当に心は荒むだけだった。加えて前記のとおりの恋愛事情など。

その私が荒んだ背景は、やはり両親(特に母)が元凶だった。私はその頃に一度仕事をリストラされた。リストラされて次の仕事、と考えていたがこの機会だからと海外留学をしたいと母に申し出たのだが、母は

「海外留学なんて認めない!金も無いくせに、絶対にそんな事は無理だ!お父さんの前でそんな事言ったら承知しないからね!」

と猛反対してきたのだ。そして留学関係の資料が私の手元にあれば私の居ない隙に捨ててしまうなど、そのような暴挙に出ることもあった。無論私も何もせずにただ母のいう事をハイハイ聞いていたわけではなかった。私はむしろ仕事をしていないこの時期だからこそ、時間に余裕も出来るのだから、本当にずっとやりたいと思っていたことをすべきじゃないのか?と考えて留学したいという結論になった。留学がダメなら地元以外での就職を!と思っていた矢先、今度はこちらも妨害に遭ってしまったのだ。最初は地元で就職活動を頑張って行っていたのだが、なかなか再就職が出来ずにいた。母はそのことに苛立ったのか、面接で落とされた職場やハローワークに電話をして

「どうしてウチの娘が仕事に就けないのか?」

と聞いたり

「何としてでも採用しなさい」

などとも言っていた。それだけではなく毎週日曜の朝に折りこみ広告で入ってくる求人広告を見ては勝手にチェックして「ここを受けなさい!」と干渉。受けないと

「自分が損するから私がやってあげてるの!どうしてそんなことも分からないの?バカだから?」

など意味不明な持論を展開する始末。そこで「じゃあ実家を出て関東で就職活動をする!」と宣言したら今度は

「世の中はそんなに甘くないの、東京じゃもっと仕事に就けないわ。だから就職はこっちでしなさい」

と聞いてもらえず。就職がだめなら留学やバイトをしながら予備校へ通って大学へ進学するか専門学校へ行きたいと話すと

「絶対だめ!行かせない!金も無いくせに。女は一人暮らししちゃいけないの!それにバイトなんてしたらそっちが主になっちゃうでしょ?」

などと更に分からないことを言い出す始末であった。母は私を何としてでも手放したくなかったのだろう。それか時期的に母は更年期障害の可能性もあった。

 

私がやっと決まった仕事ですら、母は私から仕事内容を聞き出しては否定するというものが多かった。酷い場合は「辞めろ辞めろ」と昼夜問わず私に言い続けて、私が辞めるまでそれを続けるというもの。本当に恐ろしい人間性である。

たとえばある電話関係の会社に就職が決まった時の話。私は面接時に「事務での採用になりますが、営業や設備工事にも行ってもらう」と言われたのだが、それもその会社の特色であって方針でもあるのだろうと思っていた。事実保険会社に勤めているときだって私たち内務職員もお客様から保険に入りたいと話があれば契約を取るというのも珍しくなかったので、事務で会社にいても営業をしてそれで契約をとるなどという話でも特に違和感は無かった。それに田舎暮らしということもあり、一度就職を決めたがそこを辞退してまた新たな仕事を探して就職、となるのは難しいという事情もあった。だからこそ就職活動もすべて母へは秘密にして行いたかった。だが母は前記のとおり求人折り込みを見て勝手にチェックをして「ここを受けろ!」と自分のことのように私に押し付けるので本当にうんざりする。母は私のことを本当に心配していたのかもしれない、だが20歳超えた成人した大人にこのようなことは本来不要なはずだ。やはり母の中で娘の私は幼稚園児か小学生で止まっているのだろうか?本気でそう思った。

そしてこの電話関係の会社に就職が内定した私、初日から先輩や所長とともに営業に出かけた。私は営業に出向いている間ずっとメモを取ったりするなど仕事を覚えることで必死だったが、帰宅したらしたで母から

「あんな仕事は今すぐ辞退しなさい!あなたにはもっと立派な仕事がある。それに所長と営業だって?もしそれが所長じゃなくても他の男の社員とかと営業ってなってラブホテルになんて連れ込まれたらどうするの?」

とまたまた見当違いというのか、飛躍しすぎる母の妄言が出てくる。特に「ホテルに連れ込む」なんて母の妄想でしかない。あくまで私は仕事をするためにそこに行くのだ。それなのに「ホテルに連れ込まれる」なんて思う母が本当に気持ち悪い。どうしてそういうところに結びつくのだろう、未だに分からない。ここで私は

「そんなの勝手な偏見でしょう?勝手な妄想は大概にしてほしい。仕事でそうする人なんていない!こっちだってやっと掴んだ就職内定なんだし、ここを辞めたらまた一からやり直しになる!そんなのは嫌だ!」

と反論した。だが母は

「偏見なはずがない、あんたみたいな可愛い若い女の子を見たら男なんて・・・。どうなるか分かってるでしょう?襲われるに決まってる!お母さんのいう事を聞きなさい!あの会社は辞めること、いいね!」

母の執着が気持ち悪い、と本気で思った。そしてこの後も狂ったかのように仕事を辞めろ、辞退しろと吼える母に気持ち悪さを覚えてきたが、これ以上母が暴れて妄言を繰り返す姿も見たくないので止む無くその仕事は辞退した。辞退したのはいいが、給料などもらえるはずもない・・・私がそこにいた2日間は一体何だったのだろう。やっと見つけた仕事やバイトでもこれなので、私はいつも八方塞がりになるだけであった。

 

とにかく両親ともに私の一人暮らしは「猛反対する!」ぐらいにひどく反対だった。理由は「ここからでも(実家でも)就職をして働くことは可能」、「女は結婚するまで実家暮らしが普通」「離れていたら男を作って妊娠して・・・」だった。そしてその理論を私に押し付ける。就職だけじゃなく、友達と一緒に泊まりの旅行にも行かせてもらえない。海外旅行なんて論外だとまで言われてしまった。理由は女の子ひとりでは危険だから、と。

 

日ごろから私の両親がこんな状態では私も正常な判断が出来なくなるはずだ。それにどこかに逃げようとするのが本能だろう。そこで私は前記のとおり男遊びに興じるということに至った。自分なりにもどこかに逃げないと・・・という感じだったのだと思う。特に英会話関連で私が絡むと最悪だった。私がこの歪んだ気持ちを持って男を何人捕まえただろう・・・というのが正直なところ。

毎日のように男をとっかえひっかえ・・・、というように「きょうは誰と食事」だったり「英会話が終わったら誰と会って~」となっていた。当時の職場でも先輩の恋愛話が出れば私もすかさず男の話を持ち出して、それを得意げに話すというお決まりのパターンだった。相手は自分よりも年下の大学生であったり、社会人でも自身より10歳近く歳の離れた人が相手だったり、そういう感じに私の周りには何人か常に男がいた。そしてそんな中、飲み会などで英会話がらみの男性からちやほやされることも多くなり、いろいろなイベントに誘われる機会も増えた。最初の頃こそお姫様のような扱いをされていたのだが、私はイベント毎に男に擦り寄ってそれでくっ付いて・・・という事が無くならず、周りがどんどん私から離れていくのだ。そしてまた別の男に・・・という悪循環となっていった。周りからは知らぬうちに「要注意人物」にされていただろう。恐らくだが私は第一印象は良いが、いざ付き合ってみると「重い女」だったり「親の過干渉がある」だったり「自己中心主義」というものが浮き彫りになってしまったのだろう。それで付き合いきれないとなって一方的に連絡を絶たれる。もし私が男であって今そういう状態にいる女性と付き合うなら、正直お断りだ。こんな悪魔のような淫魔のような恐ろしい女性とは付き合いたくない。

ただ、私も誰彼構わずというわけではなかった。自分の中でいくつかの条件を決めており、その中から品定めしていた。学歴や職業、年収や容姿など、いくつか私の中のチェック項目があり、そのチェック項目が多ければ多いほど私が理想とする人物像というものになっていたのだ。今思えばそれも母からの洗脳だったのかもしれない。いや、母のコピーだった。母は常日頃から私が結婚する相手の理想像を私に植え付けていたからだ。そんな中こんな中身の無い付き合いで実際に付き合った人間の中から、となっていたら本当に恐ろしい話である。品定めしていたこと自体恐ろしいが・・・

そしてその数年後、母が亡くなった。母の病が発覚した時には既に手のつけようがない状態になっていたうえに、手術をして病巣を取ったとしても長く生きることが出来ない病気だった。亡くなった時は確かに少しだけは悲しかった。けれどそれと同時に「これからは自分の行くべき道を目指そう!」という前向きな気持ちがあった。「母親」という障壁が無くなったからだ。どんな人と出会って付き合っていても、母親の異常な品定めが無いし否定もされない。もちろん干渉もされない。そういう思いが私の心を埋め尽くしてくれた。それにこれからは私自身のためだけに生きていこう!と決意した瞬間でもあった。

だが、問題はまだまだあった。そう、私の捻くれた性格だ。長年こんな両親、特に母親からの干渉に耐えて更に異常行動に悩まされたのならそう簡単に柔軟で物腰柔らかな性格に変貌するはずもない。そう、言動は相変わらず捻くれたまま・・・。過干渉の末に残ったもの・・・それは「捻くれ者」。まさにその一言に尽きる。こんな両親がいて、家に帰れば過干渉。それだけじゃなく生活の面でも自由が無い、それで学生の頃のいじめ、それが加われば「捻くれ者」の出来上がりである。捻くれて、また捻くれて、それで素直になれない。正直にもなれない。そうなればまた悪いループに陥る。それだけじゃなく過干渉に苦しんだ末には失うものも少なくない。そして残ったものは「捻くれた性格」、「歪んだ性格」とも言うのだろうか。素直になれないから楽しいことに対して素直に「笑えない」、捻くれているからこそ冷めるのも早く「くだらない」、物腰柔らかに対応できないから「喧嘩腰」。もう悪循環でしかない。そうなればやはり周りも引いてしまうのが相場である。

本当に私は捻くれた以外に「歪んだ」性格の持ち主だった。気に入らないことがあれば相手が堕ちるまで苦しめる、わがままも言い放題、本当に悪魔のような女だった。だけど犬や金魚などのペットやお気に入りの人は大事にするといった感じに。だから私が歪んだ感情で男遊びにふけっていても、その傍らにはいつも愛犬の写真などがあった。そう、会話の中に愛犬の話を持ってくることも珍しくなかったのだ。