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Darkness world -ある捻くれ者のつぶやき-

高坂はる香です。私の幼少期からの出来事をエッセイ形式で書いていきます。(ちなみにこれは全て私の心理カウンセリングで使われたものです。虐待などの内容を含むため、閲覧にはご注意ください)

友達選びは全てご自身の責任で行いましょう

友達はたくさんいる・・・と言いたいところだが、実はそうでもない。

正直幼馴染と言える友達はたくさんいても、胸を張って「小さい頃からずっと仲良しです!」と言える友達は片手で数える程度である。大きくなればライフスタイルも変わるわけで、付き合う友人も変わるのが自然だと私は考える。

そんな中、母は常に私の交友関係も把握したがり、私と仲良くしている子を見ては常に「どんな子なの?」と私に尋問するのである。優等生でお勉強の出来る子と私が仲良くすることを望んでおり、無理にでも「優等生」と呼ばれるような子と私をくっ付けようと躍起になっていた。だが私はそんなものは望まず、とりあえず気の合うクラスメイトを友人とすればいいと考えていたが、母はそれを気に入ることはなかった。たとえば相手の家柄や相手の親と母自身との仲が良いか、勉強が出来る子かなど・・・。母自身の中にそのようなチェック項目がありそのチェック項目に該当するものが多いクラスメイトほど私の友人として相応しいという結果になっていた。反対にチェック項目に該当するものが少ない場合は「娘の友達として相応しくない」という結果になり、私がその子たちと付き合いがあろうものなら「あの子とは付き合っちゃだめ。あの子はね、家が貧乏で・・・」「家柄がよくないから」などから始まって、「親が外国人だから」「暗い性格だから」付き合っちゃだめなどと耳を疑うような理由が付いてくるのである。こちらも成人してからも続くのであった。

言うまでも無くいくらクラスの中で「お勉強の出来る子」と認定されているような子であっても私と気が合うかといえば、みんなそうではない。こればっかりは相性の問題である、当たり前だが。しかし母にはその当たり前の理論が通じない。優秀な子とお友達、ウチの娘は優秀♪とでもなっていたのだろう。

 

幼稚園の頃の話。とりあえず気の合う友人は何人かいた。その中にひとりだけ男友達(以下ミツル君)もいた。ミツル君の母親は大手生命保険会社の外交員をしていたこともあり、母もそこの保険に入っていたため彼女は何度も我が家に来ていた。そこでいつも一緒に来ていたのがミツル君。私が幼稚園で他の男児から意地悪されていても何故かミツル君だけはいつも私に優しかった、そして家に彼が来た時もよく一緒に遊んでいた。一緒におやつを食べたり、庭や近くの空き地や公園で遊んだり、親同士が保険の話や世間話をしている間はそんな楽しい時間が過ぎていったものだ。母はミツル君のことは気に入っていた、恐らく親同士の付き合いもあるからだろう。彼のお母さんはとても頭もよく、物腰の柔らかい人だった。それもあってか私の母のチェック項目に該当するものも多かったのだろう、今となればそう思う。我が家に来ていた幼稚園時代の友人は他にもおり、一度だけミツル君家と一緒にもうひとり別の男の子(以下キミアキ君)が彼のお母さんと一緒に我が家にやってきた。だが、私はキミアキ君とはそんなに仲が良いわけではない。理由もなくキミアキ君は私を避けて意地悪をしてからかうからだ。キミアキ君とは小学校、中学校と同じだったが一度も仲が良かったことが無い。が、私の母から見ればキミアキ君も聡明な子であった為に私の友達として相応しいと思っていたようだ。だが実際はそんなに仲が良いわけでもない。母はしきりに「キミアキ君とも仲良くしなさいよ!」と私によく注文を付けてきた。だが母の思いとは裏腹に、私とキミアキ君が仲良くなることは無かった。一方ミツル君とは小学校4年生まで一緒だった。幼稚園の頃から親同士が仲が良いこともあってか、私たちも仲良しだったことも相まって親公認の仲になっていた。だがやはり私とミツル君は男児と女児、小学校に入れば自然と男の子は男の子グループ、女の子は女の子グループに別れるもので、幼稚園の頃と比べて一緒に遊ぶ回数は減っていた。だがやはり親同士が保険関係でつながりがあることもあり、学校が終わった後にミツル君は我が家にお母さんと一緒に来ることがよくあり、その度に遊んでいた。反対に私がミツル君の家に遊びに行くこともあった。家は少し離れていたが、なぜかよく遊んでいた。学校でも休み時間になって外に遊びに行った際に彼に会うと一緒に遊んでいた。だが私たちが小学校4年生の頃、彼が同じ市内ではあるが、違う学区に転校してしまったのだ。

それから幼稚園の頃から高校までずっと一緒だった幸子(「いじめ」の項にも出てきた子)も、母から見れば「私の友人に相応しい」子だった。とても優秀な子で、幼稚園の頃から書道、ピアノ等の習い事をずっとしており、母の目から見れば「この子と仲良しになってほしい」となったのだろう。彼女ともよく一緒に遊んだ。お互いの家を行き来したり、幼稚園でもよく一緒にいた。だが母の思う幸子は後に私にとんでもないことをしてくるなんて思いもしなかっただろう。小学校に入り、幸子と私は1、2年生の頃はクラスが別だったが、3年生から6年生までクラスが一緒になった。小学校に入って母もPTAの役員をよく引き受けており、幸子の母親もPTA役員だった。そこで親同士がお互いに意気投合したのか、そこでも勝手にお友達に認定されてしまったのだ。小学校に入って同じクラスになってから思ったことだが、幸子は実はあまり性格のいい子ではなかった。自分よりも弱い立場の子を見つければすぐに扱き下ろしたり、使いっパシリにしたりするので、周りに幸子に対していい印象を持つ子はあまりいなかった。それなのに親同士が仲良しなだけで私たちも勝手に仲良しになってしまっており、私は苦痛でしかなかった。確かに幸子は優秀ではあった、成績は。だが、性格があまり良くない。そこで私は全く別の友達と仲良くしていた。仲良しグループも幸子と私は別だった。私は3年生の頃から同じクラスになった別の女の子や、その年に新潟から転校してきた女の子と出席番号も近くて席が近いこともあってか仲がよくなった。このグループ内でよく交換日記をしたり、休み時間になると校庭に行って鉄棒をしたり、教室の中で絵を描いて遊んでいた。幸子たちも幸子たちで彼女らのグループ内で遊んでいた。

だがある参観日の日、私が幸子とは別の友達と仲良くしているところを母に目撃されてしまい、帰宅するとすぐに「なぜ幸子ちゃんと遊ばないの?仲良しでしょ?」から始まり、「お母さんは幸子ちゃんの方が好きだな~。だってお勉強もピアノも出来て、字もお上手だから!」と幸子を褒め称える言葉が出て、その次になって「今仲良くしている子、お母さんあの子知らないから仲良くしないで!あの子たちのお母さんの事だって知らないんだから」と私の友達を貶す言葉まで出てくる。母は確かに幸子がお気に入り、だけど私は幸子が好きじゃない。事件はその後私が小学校6年生の頃に起きたのだ。

4年生の終わりごろから幸子は私に急接近してきた。その頃から幸子は友達を脅したりするようになり、教室ではいつもお姫様状態になっていたのだ。クラス内で班を作った時にはいつも仕切る、気に入らないとすぐ脅す、拗ねるなど、元々あまり性格がいいとは思っていなかったが4年生になってからますますひどくなり私は幸子が嫌いになった。前記のミツル君も幸子のことが好きではなかった。後年彼と再会したときにも「俺さぁ、石川さん(幸子の苗字)苦手なんだよね。何ていうか、その・・・。すぐに威張るところとか・・・。はる香ちゃん、あんな石川さんとよく一緒にいたよねぇ」と言っていたぐらいだ。周りにも幸子が苦手という子がちらほら出始まっていた。そんな中、ちょうどそろばん塾に通うことになった私。そろばんを習うと仲良しの友達に話をしたところ、幸子がそれを聞きつけて「え?私ちゃんそろばん習うの?私もやってる!それでさぁ、私紹介してあげるから入ろうよ!」と私を突然勧誘してきたのだ。幸子のそのいきなりな行動に私は戸惑った。間髪要れず幸子は「だってねぇ、友達を紹介すると私ご褒美がもらえるんだー!やったー!!」などとひとりで舞い上がっている。その後親が勝手に契約をしてそろばん塾通いが始まった。同時に幸子が私をそろばん塾に紹介するということで。無論幸子を気に入っている母は大喜び。やはり幸子と私が一緒にいることが母にとって嬉しいのだろう。

そんなある日のこと、幸子は私に「あのね、学校に飴を持ってきちゃいけないって知ってるよね?けど、私そろばんの日に飴食べたいの。だって帰るの遅くなるし。だからはる香ちゃん、持ってきてくれない?ずっと友達でしょ?」と私に飴を持ってくるように持ちかけた。実は私たちの通うそろばん塾は学校が終わってそのままそろばん塾に直行する児童がほとんどであり、そろばん塾の道具を学校に持っていくのは普通だった。それを知ってか、飴を持ってこいなどと言い出す幸子・・・。

その翌週、私は飴を持っていかなかった。すぐに幸子にそれを知られ

「ちょっと!何で嘘つくのよ!私ちゃん来週飴持ってくるって言ってたでしょ?最低!もう口聞いてあげないんだから!」

と彼女に怒られた。私はそんな約束などしていない。それなのに勝手に約束をされたことになっている。無論それを否定すると彼女は

「じゃあ『はる香ちゃんは嘘つき』だってクラス中に言いふらしてやる!」

と今度は私を脅し始めたのだ。仕方なく翌週私はそろばん塾に飴を持って行き、幸子に渡した。飴を受け取った彼女は

「やったー!嬉しいんだけど!このことは内緒にしておいてあげるね!だって私たち、幼稚園の頃からの友達でしょ?」

などと友達アピールをしながら恩着せがましいことを言い始めたのだ。それから毎週のように幸子からは飴を催促された。だがある日1日だけ私が飴を忘れただけで、幸子はクラス中に私が学校に飴を持ってきていると言いふらしてしまい、私は先生に怒られ家には先生から連絡が行ってしまった。私は当然のことながら両親にも先生にも幸子に脅されたことを言ったのだが、誰一人信用してくれず母に至っては

「まぁ!幸子ちゃんのせいにするの?あの子は頭の良い子でそんな事をするはずがない!」

と言い出す始末。挙句

「幸子ちゃんがお勉強できるのが嫌なの?それとも幸子ちゃんじゃない子と仲良くしたいの?だからって嘘をつくなんて、お母さんはる香のこと嫌い!」

と。母から見たら娘はどっちなの?と頭を抱えてしまったぐらいだった。担任の先生も先生で私の言い分など何も聞かず、幸子を擁護する。やはり担任の先生も

「お勉強できる子はそんな事するはずがない。はる香ちゃんはお勉強も出来ないし、クラスにいても特に目立たないし、だからそういうことをしても分からないと思ったの?」

と思い描いていたとおりの発言をした。

 

これだけではなく彼女とは小学校5年生6年生とクラスが同じになってしまった。そんな中恐れていたことが起きてしまったのだ。幸子は6年生になってからも私に物をせびり、断られると脅すようになった。ある日彼女は私に自身の誕生日プレゼントをせびるようになった。私はあげたくなかったが、彼女はお約束どおり

「ねぇはる香ちゃん。私たちお友達でしょ?だからもちろん私の誕生日プレゼントくれるよね?くれなかったらどうなるか分かってるよね?」

と友達アピールと脅しをセットでしてくるのだ。本当にタチの悪いものである。

私は散々悩んだが仕方なく安物のタオルをプレゼントしてあげた。

だがそのタオル、実は誕生日プレゼントをせびられた数日後の土曜日に従姉妹と偶然行った学区外のスーパーで買った見切り品(微妙なシミの付いたもので通常価格で売れないために値下げされてワゴンに乗せられて売られていたもの)のタオルである。ここから私の無言の仕返しが始まった。私はそのタオルを状態の良い使い古しの包装紙で包んで幸子に渡してあげた。心の中では

「うふふ・・・これでもプレゼント、私たちお友達だもん!だから心を込めて包んであげようっと♪(ここで言う「心を込めて」というのは今までの恨み辛みのどす黒い思いをたっぷり込めてという意味)」

と呟きながら私は使い古しの包装紙でプレゼント用に買ったタオルを包んでいった。それは本当に面白く、復讐をしている気分で心底「幸子って本当に可哀想~」と思いながら微笑を浮かべていたものだ。

そして彼女の誕生日。私は彼女にその恨み辛みの篭ったプレゼントを手渡す。彼女は私のどす黒い思いに全く気づくことも無く「やったー!はる香ちゃん本当にありがとー!!」などと滑稽に見えてしまうぐらいに喜んでいた。その姿を見て私は心の中で

「汚れのついた激安品でもお誕生日プレゼントだよ。お友達だもんね~♪あ、包装紙も中古品だから!愛情が篭っていればいいでしょ?だってお友達だもんね~、アハハ・・・」

とそのプレゼントを受け取って喜ぶ幸子の後ろ姿に呟いた。散々人を振り回した彼女にした最初で最後の心の篭った仕返しだった。帰宅して私は母に幸子にプレゼントを渡したと報告した。母は私のどす黒い思惑の事など露知らず

「あら~、お誕生日にプレゼントあげたの?はる香って本当に偉いねー!」

などと、こちらもまた滑稽な展開となった。母の後姿にも私は

「値下がり品の汚れのついたタオルで包装紙も中古だけどね・・・」

と母の後ろ姿に呟く。ここで分かったことは、母も学校の先生も勉強できるイコール頭がいい、頭が良い子は悪いことなんてせず、みんなとお友達ということだった。母に関してはどんなに悪いことをする子でも頭が良い子とお友達になればいいというものだ。子供にとってそんなものは正直迷惑である。

実は小学校5年生の後半から、私は隣のクラスの女児(以下アスカ)とひょんな事から友人関係となった。アスカは小学校5年生の中盤に私の通う小学校に転校してきた。アスカと仲良しになったきっかけはあまりよく覚えていないが、6年生になったら本当に同じクラスの仲間のように仲良しになっていた。休み時間のたびに「あら~、隣の奥様」などと言って奥様ごっこ(奥様ごっこと言ってもご近所の奥様方が井戸端会議をするような感じで話すなど)をしていたり、クラブ活動も同じものに入ろうね!と言っていたりもした。委員会は同じ委員会に所属し、1年間楽しく過ごした。中学に入ってからもよく一緒に遊んだ。

そんな中学1年のある日、私はアスカを家に招待して一緒に遊んでいた。母も最初はアスカを気に入ってくれていた。だが、何度か我が家に彼女が遊びに来ていたある日、部屋で私の財布が無くなったのだ。ほぼ同時期、同じ地区に住む友人(こちらはアスカと同じクラスの女子)の家でも財布が無くなったというのだ。彼女曰くアスカが家に遊びに来た後に財布が部屋から消えていたというのだ。私はアスカを疑うつもりなどなかったが、その同じ地区の友人は真っ先にアスカを疑い、絶縁してしまったのだ。幸いその日は別の財布にお金を入れていたので無くした財布には何も入っていなかったのだ。だが、それを聞いた母は

「まさか、アスカちゃんが盗んだとか・・・?絶対に盗んでる!昨日来ててあんたの部屋に入って遊んでたでしょ?」

と。真っ先に母はアスカを疑ったのだ。そして

「あの子をもう家に呼ばないで!」

とまで。正直私はアスカを疑う気にもならなかった。なぜならアスカが私の財布を盗った証拠もないし、犯行現場を見ていたわけでもない。だから疑うのは筋違いなのでは?と思ったから。それに人を疑うことに疑問を持っていたからだった。

母が何と言おうと私はアスカのことは大切な友達だと思っていた。というのも中学2年生になるときに合唱部に入ることに決めたのだが、それを反対する母を説得するのを手伝ってくれたこともあったからだ。それでも母は

「アスカちゃんとは付き合わないでほしい」

と私にずっと言い続けていた。その後部活に入った私は入部間もなく顧問の先生や先輩からピアノ伴奏中の楽譜めくりなどを任されるようになった。それが気に入らなかったのか、アスカは私をいじめ始めた。それを知った母はそこでも

「ほらやっぱりあの子はよくないよ!だから部活も辞めてあの子とも付き合わない方がいい!あんたもその方がいいでしょ?」

と私に言ってきたのだ。私はその時はアスカが同じ部活にいるから変に意識するわけでもなく、かといって部活内では部員である以上お互いパートは違えどライバル。だからアスカにいじめられるから、裏切られたからなどという理由で部活を辞めるつもりなんて無かった。音楽が好きで歌うことが楽しいと心から思っていたからだ。このあたりから母は事ある毎にしつこくアスカと付き合うことを止めるように言ってくるようになった。やはりここで母は私に前記のとおりの理由をつけて付き合いを止めるように言ってくるのだった。母曰く

「アスカちゃん家は市営住宅住まいでうちよりも貧乏だから」

「前にあんたの財布を盗んでおいて、それで今もあんたをいじめるくせに友達だって?」

「また泥棒するんでしょ?だからあんな子とは付き合わないで!」

「あの子は不良になる」

とのこと。私が誰と付き合おうと勝手だし、その頃には同じクラスにも親しい友人は何人もいたので、私は母が心配するほどでもないと考えていた。たとえ今後アスカと縁を切っても。母はまたしきりに同じクラスの友人を引き合いにだしてアスカと付き合うな!友達をやめろ!と言っていたのだ。ここまでくると、私も心底母にうんざりしていた。母を黙らせる方法、それは私がアスカと縁を切って部活も辞めればいいのかと思うようになってしまった。現にアスカは私と最初は仲良しだったが、同じ部活に入ってからは私をいじめるようになっていった。それにパートが違うのに

「声がでかい」

「そんなダミ声で歌っているあんたがレギュラーメンバーなんて納得いかない」

ジャイアンリサイタル

「とっとと部活を辞めろ!」

「2年から入部したくせに生意気!1年と同じことをやっていろ!」

「新米部員なんて2年でも1年と同じ。だからレギュラーと練習するな!課題曲講習会にも出るな!」

などといちいちいちゃもんをつけてくる。部活以外でもカバンを盗む、私物をゴミ箱に捨てる、悪口を言うなどの嫌がらせをしてくる。それは全て今思うと彼女の嫉妬だったのだろう、私は小学校低学年でピアノを辞めてからも独学でピアノを練習して腕もあげていたうえに、事実部活に入ることを決めたきっかけもアスカから声をかけられたからではなく、偶然通りがかった放課後の音楽室でピアノを弾いていたら合唱部顧問の先生が声をかけてくれたことだった。先生に見つかったときはさすがに「あ、やばい!怒られる!」と思ったが、その先生は笑顔で

「今の曲、もう一回弾いてもらえないかな?」

とやさしく言ってくれた。そして私はもう一度その曲を弾き始めた。ピアノを弾き終わると先生は私に

「あなた確か部活に入っていないんだっけ?そんなにピアノが弾けるのにもったいない・・・」

と言って続けて

「私、合唱部の顧問をしているんだけど、もしよかったら合唱部に入ってみない?・・・、って実は部員が少ないんだけど」

と。最初は部活に入ることをあまり考えていなかったが、そのうちに考えるようになっていったのだった。そしてアスカが合唱部にいることを知り彼女からの誘いもあって入部となった。

それでもアスカの嫉妬や怒りが収まることはなかった。だったら私はもう、部活も辞めてしまってアスカとも縁を切ろう・・・と考え始めたそんなある日、突然アスカがこれまでのことを謝罪してきたのだ。

当然のことながら私は彼女の謝罪を受け入れなかった。だがその後何度も謝罪するアスカ、何度も謝罪していた彼女を私は彼女を許すことにした。ただすぐに仲直りというわけではなかったが、とりあえず暫くは部活だけの付き合いにしようと決めていた。母はこれにも納得がいかずまたしても

「あんな形だけの謝罪、そんなものを易々と受け入れたあんたはバカだ」

などと私に文句を言う。そしてアスカとは紆余曲折あったものの高校、社会人、そして現在でも良き友人としてもライバルとしても関係を続けている。

一方、母は私が社会人になってもアスカとの付き合いがあることを良く思わなかったようだ。時には「あの女!ウチの娘に悪いことを吹き込んで」なとど妄想に満ちたことまで私に言う始末。本当にタチが悪い。母にとって私の友人というのは母の理想の友人でないといけなかったのか、今でもそれはよく分からない。私が高校の頃にも私の友達付き合いの件で何度も揉めている。クラスで仲良くしていた友達がいたのだが、参観日の時にその友人を見るや

「あの子は根暗そうだから付き合うのを止めて!アンタまで根暗になるから」

などと何の根拠があるの?という妄言をしてきたくらい。社会人になったらなったで今度は

「(保険屋に就職したばかりの頃)結婚相手はこの職場で見つけなさい」

などとも言ってきた。

 

ただ、私も母も気に入らない。寧ろ大嫌いという子が実はひとりだけいたのだ。それは則子(「いじめ」参照)という少女だった。彼女とは小学校3年生から6年生までは同じクラス、そして中学、高校と同じ学校だった。家は米屋を営んでいた。則子は周囲の大人から充分に構ってもらえていなかったのか、私にやたら嫌がらせをしたりするようになっていったのだ。小学校3年生で同じクラスになった頃はそうでもなかった。席も近くだったせいか休み時間などに宿題の答え合わせを一緒にしたり校庭で会ったら一緒に遊んだりもしていた。だがどこで則子はそんな歪んだ感情を私にぶつけてくるようになったのか、今でもよく分からない。少なくとも小学校4年生の中盤頃からそうなっていたのだろう。私が自身の友人とどこかにお出かけをしようと言うと、則子がその話を聞きつけては「私も一緒に行く!ね、いいでしょ?」と言い無理矢理私たちに着いて来ようとしたり、教室移動の時にもわざと付きまとってくるなどのむちゃくちゃな行動から始まり、それを嫌がる私たちに対して暴言を吐いたり嫌がらせをすることから始まった。最終的にはその嫌がらせの標的は私だけになってしまい、事あるごとに則子は私の私物を盗んで行っては隠す、秘密を無理矢理聞き出そうとしたりするようにもなった。それを問い詰めたり拒否をすると、今度はわざと私の傍に寄ってきて悪口を言うなどもしてきた。相手が則子ひとりだったら放置すれば済む問題だっただろう、だが則子にもいつの間にか味方が出来てしまい面倒になっていった。則子は平気で嘘をつく、人の悪口を言う、人によって態度を変える、自分よりも強いと思った人にはごまをするなど、本当にタチが悪い。そんな中、小学校6年生の頃のあるお昼休みに私は彼女にある復讐をした。

その日は給食が無く弁当の日だった。私は母に作ってもらった弁当を友人と食べていた。その時則子は彼女の友人数名と共に私のもとにやってきて、何も言わずに弁当箱の中の海苔巻きに手を伸ばした。私もとっさのことで驚いて

「ちょっと、何するの?」

と声をあげた。すると則子は

「だって美味しそうだったんだもん。ね、1個ちょうだい!くれるよね?私は特別だもん!」

と言ってまた海苔巻きに手を伸ばした。私は則子に向かって

「どんだけお前は無神経なんだよ!」

と彼女の手を掴んで応戦、彼女は私の手を振りほどいていきなり

「はる香ちゃん何するのよ!だってあんたが食べていいって言うから(そんな事一言も言っていませんが・・・)貰おうとしたんじゃない!」

と声を上げたのだ。

そこで私は則子が嘘を言ったことに腹を立てて自身の弁当箱から海苔巻きを一切れ手にとって彼女に差し出すように持つと、それをわざと床に落とした。そして、床に落とした海苔巻きを指して

「ほら食えよ則子。お前がこれを欲しいって言った。だからくれてやったんだ、ハハハ・・・感謝して食え!」

と彼女にそれを食べるように冷たく言い放ったのだ。彼女は最初はオロオロしていたが、彼女の傍にいた彼女の友人が私に

「ちょっと!はる香ちゃん何考えてんの?床に落としたものを食えって、則子のことをバカにしてるの?ひどい!」

と言うが、私は構わず

「人の弁当、勝手に取ろうとしてそれか?呆れるねぇ・・・。自分のもちゃんとあるのにね、ああ卑しいわぁ!気持ち悪いねぇ」

と静かに彼女たちに言い放つ。そして私は続けて則子の目を見て

「おい、食わねぇのか?あんなに欲しがってたくせに。・・・どうしてだろうね~」

と笑顔で言うのだ。すると則子は泣き出して廊下に駆け出したのだ。後に聞いた話だが、その一部始終を見ていたある男子数名が

「高坂の行動にびっくりした。お前があんなことをするような子だと思わなかった」

と言っていたそうだ。そしてその数分後に担任が来て私が怒られたのだ。当たり前だが「食べ物を床にわざと落とすなんて」と。

この件に関しては正直自分でもやりすぎた感じはあった。だが、私の行動は人の弁当を黙って盗ろうとするような卑しい彼女にはいい薬だと思っていたのだ。そもそも小学校高学年にもなって人のものを平気で奪って食べるなど怪しからん!以ての外だ!親のしつけは一体何なんだと思ってしまったぐらいだ。ついでに言うならモラルが無いのか?とも。この一件に関しては担任から私の母にも連絡が行き(あくまで被害者は私という風に先生は私の味方はしてくれていたらしい)、私は帰宅してから母にこっぴどく怒られた。だが母は則子のしたことの方が腹が立つと珍しく私の味方もしてくれた。母の言い分は

「いくら他の子のお弁当が美味しそうだからといっても、それを黙って盗るのはよくない。せめてお互いが納得する形でおかずを交換するとかそういうのだったらまだ理解できる。けれど、それを床に落として食えって脅すのもどうかと思うよ」

とのこと。加えて

「則子ちゃんは普段からそういうことをするのか?」

と私に訊いてきて、私がそうだと言うと

「あの子、何が面白くなくてうちの子にそういう嫌なことをするんだか」

と怒り出したのだ。

 

この一件以来、則子の私への嫌がらせはエスカレートした。私のランドセルに付けていたあるアニメのキャラクターのキーホルダー数個も彼女がある日盗んでゴミ箱に捨ててしまったのだ。私はその日帰宅しようとランドセルを背負おうとしたところでキーホルダーが無いことに気づいた。そのキーホルダー、本当に気に入って従姉妹と一緒に買い物に行ったときにお揃いで買ったものだったから無くなったということが余計に悲しかった。そこで私は帰り道で偶然会った則子とその友人に「ねー、私のランドセルに着いていた○○のキーホルダー、見かけなかった?ちゃんとランドセルに付けていたんだけど無くなっちゃって。あれ、従姉妹とお揃いで買ったやつだから・・・」と尋ねてみた。すると彼女と友人たちは口を揃えて「知らない」と。その数日後、音楽室のゴミ箱から汚れた状態でそれが発見されたのだ。しかも事もあろうか発見したのは則子だった。本当に腹が立った、実は私のキーホルダーを盗んだのは則子であったのだ。実は無くなった翌日、別の友人から「則子がはる香のキーホルダーを盗ってゴミ箱に捨ててやった!」と自慢していたと聞いたから犯人は則子だということが分かったのだった。すかさず発見されて私の手元に戻ってきたところで則子を問い詰めたが、則子はシラを切り続ける。

「私知らないよ~?だってここにあったの見つけただけだもん」

とか

「私盗んでないもん!」

などと言うばかり。だが則子がそれを盗んだと言っていたと証言した友人は嘘をつくような子ではなかった。寧ろクラスのまとめ役のようなしっかりした性格の子だったから。だから私は則子に「いつまでも嘘ついてんじゃねーよ、ブス!」と怒鳴りつけたのだ。すると則子は今度は嘘泣きし始めてはる香ちゃんがいじめたと喚きだしたが、他の目撃者のクラスメイトは真相を知っているだけに、ただただ呆れてそれを見るだけだった。

私は思う、物を盗むのはもちろんよくない。同時に持ち主はその物をどんな気持ちで手に入れて、そして持っていたのかを盗む人はどう考えたのだろうか・・・。きっと誰かから貰った大切なものだったかもしれない、お誕生日プレゼントだったかもしれない。お小遣いをためて買ったものかもしれない、どんなものであってもそれなりに感情が篭ったものだということを考えないのかな。そう考えると本当に腹が立った。

 

それから数日後の出来事。ここでも則子はやってくれた。学校が終わってそろばん塾に行った私は教室が開くのを外で待っていた。そこへ則子らがやって来て、私を見るやいきなり叩いてきたり悪口を言ってきたり、さらには石を投げつけたりしてきたのだ。その日は学校が終わってから私は歯医者に寄って、その足でそろばん塾に行くことになっており、歯医者に連れて行ってくれた母が車で塾まで乗せて行ってくれたのだ。そして駐車場を出ようとした母がその一部始終を目撃していたのだ。そこで母が車から降りてきて則子らを問い詰めた。だがここでも彼女らは往生際が悪く

「だってはる香ちゃんが悪口をいきなり言ってきたから怒って、それで・・・」

と若干しどろもどろ気味に母に言い訳をしていたのだ。私は則子たちに悪口を言って喧嘩を売った覚えなど無い。石を投げてきたことについては「遊んでいたら、転んでそこで飛んだ石がはる香ちゃんに当たった」などと白々しい言い訳をしていた。

私はむしろ則子たちが来ても知らん顔をしていたぐらいだった、相手にしたくなかったから。それに彼女たちは私を見るやいきなり

「はる香ちゃんがいるー。うわぁ汚い・・・。私たち塾の中に入れないじゃん!」

などと言ってきて、更に彼女の仲間の子が「どっか行けよバイ菌!」と言って私を殴ってきたところから則子らも加勢して事が大きくなってしまったのだ。

「子供の喧嘩に口を出すべきじゃない」とは言うが、私はこの時の母の気持ちは分からなくもない。恐らく私もわが子が一方的にそうされたなら、母と同じく行動にでていただろう、そう思う。事実彼女らのぶつけた石が顔に当たって痣になったぐらいだから。それも運が悪く目のすぐ下だったから本当に許せない。目の下にはしばらく痣が残った。そして母は則子らに説教を始めて、その後教室にやってきた先生に事の経緯を話していた。その日は彼女らは教室に入れてもらえず、そのまま帰っていったようだった。

その日から母は則子を「危険人物」扱いするようになり、私にも

「あの子と遊んじゃだめ!教室で声をかけられても無視しなさい」

と言うようになっていった。私も絶対に彼女らには関わりたくなかったので、そればっかりは母と同じ答えだった。さすがにここまでされて母からいつもの「仲良くしなさい!」は無かった。無論則子には友達として付き合っていても自慢できるようなメリットは何もなかったから。

その後母は則子の実家の店で米を買うのを止めたのだ。偶然にも私の通う空手道場の師範に米屋を経営する人がいたこともあり、それからずっと母はその師範のいる店で米を買っていた。そういえば、前記の弁当事件の海苔巻きも恐らく則子の実家の米屋で買った米で作っていたのだろう。そうだったら本当に皮肉な結果だ。