Darkness world -ある捻くれ者のつぶやき-

成瀬香織です。私の幼少期からの出来事をエッセイ形式で書いていきます。(ちなみにこれは全て私の心理カウンセリングで使われたものです。虐待などの内容を含むため、閲覧にはご注意ください)

同窓会

私は同窓会というものには行きたくない。

 

というのも、小中共にいじめに遭っていたのもあるし、高校は本当に行きたい高校へ進学したわけじゃないうえに人間関係が面倒だったから。で、その中で…殆ど女クラ(クラス43人中男子は10人だけ。けど根暗やさえないな奴ばかり)というのもあってか、何かにつけて仲良しグループを作りたがる、それだけじゃなくスクールカーストみたいなアホみたいな構図が出来上がり、スクールカーストの頂点にいる女子の仲良しグループだけがのさばり、調子に乗る。

ついでにスクールカーストの頂点にいることをいい事に対して仲がいいわけでもないクラスメイトの色恋沙汰とかにズカズカと首を突っ込んでくるなど。はっきり言ってめんどくせーって感じなのだ。それだけならまだいいが、無理にでも仲良しグループを作らなきゃという空気が漂っているだけに、仲良くしたいような雰囲気でも無さそうな根暗なブスと2人だけの仲良しグループを勝手に作られたこともあった。

そもそも女子独特のキャピキャピした雰囲気が好きじゃないし、無理に作られた仲良しグループにいてそこの人間と仲良しこよしごっこをするのも好きじゃない。所詮は馴れ合いでしかないと思っている。

 

うちのクラスに一人いた。

中学浪人して入ってきたある女子なのだが、この女が面倒な女であった。他のクラスメイトよりも1歳年上だからなのだろう、気持ち悪いほどでしゃばりでプライドが高く、うるさい女だった。無論その女が仕切るグループがスクールカーストの頂点、今考えても鬱陶しい…

実はこの女らのせいで私は当時内緒で付き合っていた彼氏と別れることになってしまった。

 

ある月曜日、前日に当時の彼氏と図書館に行って勉強をしていた。だが、それを目撃されてしまったようでその翌日である月曜日に学校へ行ったら、ワイドショーのインタビューの如く、質問攻めに遭った。たいして仲良しでもないのに、こういう話になると無理矢理割り込んでくるこの神経、未だに理解できない。

それに無理矢理私と仲良しグループにさせられた根暗な女と距離を置こうとしたら、私が完全に悪者扱いでスクールカーストの頂点の女らに説教される始末。性格的に合わないし、趣味や嗜好や考えも合わないのになぜ一緒にいるんだろうと思った結果、距離を置こうと決めただけなのにここでも首を突っ込んでくるのだから面倒くさい。

人の友人関係や恋愛事情にも首を突っ込むとか、正直あり得ない。それに私はクラスで一人でいたとしても平気である。むしろその方が気楽でよかった。なのに無理矢理仲良しグループ、そして親友と決めつけてお友達ごっこを強いる。苦痛なはずがない。

 

それと元いた仲良しグループのリーダー格の小池(仮名)という女も私は大嫌いだった。何だか気持ち悪い、やたら私に突っかかってくる女だった。根暗な女とくっつけてグループから私らを追い出して自分らはいい気になっている、そして私のすることにいちゃもんをつけてくるなど、何が気に入らなくてそうするのか未だに謎である。小池もブスだった、まさに顔も悪ければ性格も悪い。もう最悪…

 

こんなだから同窓会なるものは行きたくない。自分が辛いだけだし、面倒なことに巻き込まれるのは目に見えているから。

 

だが、私が21歳の時に実際に高校の同窓会の案内が届いた。けれど関わりたくないのでそのままハガキは捨てて返事は無視した。

 

それから3年後…

会社の飲み会の帰りに高校のクラスメイトだったある男子にばったり会ったのだ。全然変わりなくて、暫し話した。

けれどお互い連絡先も交換せずに別れた。これでよかったんだ。

 

きっとこれからも私は同窓会は断り続けることだろう。

ブラック企業勤め

どもー、こさはるです。
きょうも元気にエッセイ書いていきますんで、読んでください。

※※※※※
私は一時期今で言うブラック企業に勤めていたことがある。H交易という輸入と通販の企業だ。
ちなみにハロワの求人にて「事務・英語ができる方大歓迎」とあり、私は応募をした。

数日後、そこへ面接に行き3日後に採用が決まった。
翌週からの出社となり、先輩たちからはとても良くされて正直私も安心していた。私の当時の担当はお客様からハガキで注文のあった品物、たとえばゴルフクラブなどを受注管理をしたうえで商品を発送し、支払いを確認するというところまでだった。
そこの企業の取り扱う商品はとても幅広いもので、ゴルフクラブ等のゴルフ用品をはじめ、個人輸入の医薬品やサプリメント、更にはアダルトグッズまで。アダルトグッズに関しては輸入物もあり、パッケージなどが無修正のまま輸入されていた。そこを「わいせつ物」とならないよう私達の方で加工したうえでお客様には発送していた。もちろん国内生産のものも扱っていた。
最初はめちゃくちゃ戸惑ったのは言うまでもない。それについて当時の課長曰く「うちが相手にしてるのは、ゴルフ好きのエロオヤジばかり」とのこと。いくら社内とはいえ、これはいかんだろう。
そして山積みのアダルトグッズに戸惑う私の隣では先輩たち(すべて独身女性)が普通に発送業務を行うのだ。それから次号のカタログに載せるための商品サンプルの撮影をしたり、説明文を書くのも私達なのだ。
この時は先輩がとあるアダルトグッズの説明文を書いていたのだが、淫語が並ぶ!並ぶ!並ぶ!そんな調子で私は更に驚き戸惑った。

話はこれだけではない。
ここまでなら別にいい、無論あれだけのアダルトグッズを見ていれば嫌でも免疫が付くものだから。肝心の社会保険加入の案内も、給与振込口座も聞かれないことを不審に思い、経理担当に聞いてみた。すると、その日の午後になぜか私は社長室に呼ばれた。
社長室に入ると、社長がそこにいて私にこう告げた。
「あれー?説明してなかったっけ?うちの会社って最初の半年はアルバイトなのよね。それで半年持てば正社員にするってことになってんのよ。でね、時給は750円。これね、社会保険事務所からもあまりにも加入や脱退が多いってことで指導受けちゃっててね」
私は正社員ということで、ここに入社したはずだ。それなのにいつの間にかバイト扱い。しかも経理担当は社長の奥様という扱いづらい人事であった。

どうせこんな事になるなら、いっそ辞めて他に仕事を探したほうが私のためだと私は帰宅後に両親に辞めることを話した。
すると、父親は大激怒、母親も「数日で、バイトだからって辞めるなんて我が家の恥」と言い出す始末。私が辞めることを猛反対。しかも翌日から母親は私の出社を監視するようになり、辞めるに辞められなくなってしまった。
ただ父親は条件を出してきた。
「次の仕事を今すぐに決めてきたら辞めてもいい」と。はっきり言って無理だ。そして母親も毎日のように辞めないでと言う始末。仕方なく勤めるしかなかった。

そして私はそこの職場で何とか仕事を覚えて海外からの問い合わせにも応えられるようになっていった。社長の強引な仕事ぶりは相変わらずだった。
気がつけば年末。ここで何か変化があればと願わずにはいられなかった。

年明け…。新しいカタログが正月の期間にお客様のもとに配送されていたことが発覚。本来なら正月明けにお客様の手元に届くはずのものだった。社長曰く郵便局のミスだというが、そうとも言い切れない。この社長のことだからわざとそうしたのでは?という疑いも出てきた。年始から注文のハガキやらファックスが多数届いており、まさに注文殺到という状況になっていた。その日だけで注文は300件、だけどそれを受注管理して発送業務まで行うのは私ともう一人のパートの人だけ。あとの先輩たちは別の業務があるということで私らの仕事にはノータッチであった。
毎日100件近くの注文があるため、とてもじゃないが2人だけでその業務を行うのは不可能だった。私は日中は電話での注文を受けて受注のデータベースに打ち込んで行き、発送を行うという作業の繰り返し。そしてもうひとりの人も同じ。だけど他の先輩たちは手伝ってもくれない。もちろんこちらからヘルプを出しているのに…
ある昼休み。
先輩たちと昼食をとっていると、一人の先輩が
「毎回こんな感じなのよね、新しいカタログの後って。けどねー、総動員で毎日徹夜で発送業務やってたりもしたのよ。私なんて胃を痛めて医者からはすぐに入院って言われたけれど断ってこの仕事してたのよ」
続けて別の先輩は
「けど給料安いんだよねー。社員でもホント、10万いかないし、ボーナスだって現物支給。この間は社員だけにって一万円の商品券だよ?」
更に前記の先輩が
「他にも!どんなに忙しくてもそれが当たり前になっちゃえば問題ないんだよねー」

この人たち狂ってる…
確かに給料は安いし、残業しても深夜働いていても残業手当も新夜勤手当もつかない。この時点で労基法に違反している。そして私も例外ではなく、給料には残業手当も新夜勤手当もつかなかった。コンビニのアルバイトでもキチンとつくもんだろ!と憤った。
それなのに仕事はきつい、毎日朝9時に出勤して帰宅は夜中の2時とか翌朝6時なんてこともザラ。
話は戻るが、この時の発送業務はとてもじゃないが追いつかない。そこで先輩二人も加わるが、全く追いつかない。けれどそんな中でも先輩たちは「私達はこういうのが当たり前だ!」と言わんばかりに仕事をしている。
確かに仕事だとなれば責任も生じる。だが、残業手当も新夜勤手当も出ない、社会保険にも雇用保険にも労災にも入れない…それで夜中、翌朝まで働くことを強要される。たとえインフルエンザになったとしても「マスクして出てこい!」と言われる。そして出社が遅いと文句を言われてしまう。

そんな中、社長は社員を置いて海外旅行に出かけてしまった。ここでも先輩の愚痴は止まらない。
「社長の贅沢さえ無くなれば、ボーナスぐらいまともにもらえるだろうに」
繁忙期に会社を放ったらかしで海外旅行?!明らかにおかしい。
その日の夜だった、私は熱と強烈な頭痛で倒れ込んだ。けれど先輩たちは「忙しいんだからぼーっとしてないで働け!」と言って帰ることすら許してくれなかった。一緒に仕事をしていたパートの人がいちばん酷かった。
「わたしは今日中にこれをどうしても終わらせたいの!だからあんた、きちんとやってもらうわ」
翌朝私は何とか会社を抜け出して病院へ行ったら、検査の結果インフルエンザだった。熱も39℃を超えており、医者からは仕事に対してドクターストップがかかった。そして病院を出て会社に電話をすると、先輩が出て私は罵倒された。
「誰があんたの仕事手伝ってやってると思うの?人手が足りないの!みんな熱があっても仕事してるんだから早く出社しなさいよ!」とどやされて、私は逃げられないと勘違いしてしまい、仕方なく出社した。
この日も先輩たちからの愚痴や罵倒を聞きながら夜中まで仕事をしていた。

私はもう耐えられないと思ったので、昼休みに労働基準監督署に電話をして現状を報告した。
けれどその時電話で話した監督官の方は私に冷たく「それは魅力のない会社ってことよ。それにね、いくら深夜勤務をして新夜勤手当がつかないっていっても私らでも何もできないのよ。調査も無理だ」と相手にしてもらえなかった。何のための労働基準監督署なんだろう…、絶望した。
そして警察にも相談したが、こちらも相手にしてもらえなかった。

これでは本当に殺されると思い、私は社長の帰国を待って社長に退職を申し出た。
すると社長は…
「こんな理由で辞めるって、ホント根性ないのね。それにただ深夜勤務したり朝方まで働いたからって体調崩すとか信じられない!アンタさぁ、ここにいるだけで迷惑だからさっさとどっか行って!それにアンタのことなんて最初から社員にするつもり無かったから」と。

信じられない。

これを根性なしだと??
私はこの日を最後に退職することになったのたが、先輩たちが猛反対したせいで退職出来なくなってしまった。それだけではない、先輩たちの怒りの矛先は私に向けられた。
「あんただけ逃げるのなんて卑怯よ。この仕事どうするつもり?このグチャグチャを何とかしなさいよ、夜も寝ないで朝までに終わらせなさいよ!」
とN先輩は私に言い放った。こっちとしては退職も決まっているはず、それなのにこれは?と
「そんなこと言われても…、私はきょうで退職だと社長に言われてますので」と言うしかない。
だがN先輩も引き下がらずに
「じゃあ社長に撤回させるわ!私らが犠牲になるだけよ!!」

私は会社から休むことなく働くことを強要され、昼休みすら会社から出ることを禁止された。定時で帰ることも、先輩たちよりも早く帰ることも禁止された。そしてただでさえ業務が忙しくて仕事も追いつかないというのに電話に必ず出ろと言われ、手を休めることも許されなかった。
そんな中、もう一度だけ労働基準監督署に電話をして退職を申し出たのに退職させてくれないと相談をしたが、これも相手にされなかった。だが、その時対応した監督官曰く「退職を申し出て会社側も一度は受け入れたんなら、それは有効だ」と言ってくれたので、私は改めて先輩たちに退職をすると宣言した。だが、ここでも先輩たちは噛み付いてきて、取っ組み合いの喧嘩になった。私も何かが自分の中で切れてしまったようで、パートの人と大喧嘩をした。パートの人曰く「私だってこんなの、もう嫌!きょうで辞めます!」と私に言ってきたこともあり、私は「じゃあ辞めろよ!とっとと出ていけや!!」と怒鳴り、彼女のカバンを窓から外にぶん投げた。パートの人はそれを奇声を発して外に取りに行っていた。

その日の夜、私は定時少し過ぎに誰にも何も言わず、引き出しの中に倉庫と事務所の鍵を入れてタイムカードを押して帰宅した。
こんなところ、もう居られないしもう無理!耐えられない!私は殺されたくない!その気持ちしかなかった。
そして翌朝、会社へ退職届をファックスを自宅から送信した。そこに今までの給与および残業手当と新夜勤手当はこちらの口座に振り込んでくださいと書いて…
その後すぐに会社からは自宅や携帯にしつこいぐらいに電話がかかってきたが、無視した。もう関わるのすら嫌だったから。

その時私はこう考えていた。
もしこれで、給与の振り込みがなかったら、マスコミに事実を公表しようと。実はタイムカードは全てコピーしていたのだ。それと時給を計算したエクセル表も作っていたから。それを証拠に…

だが、給料日に給与は振り込まれていた。
けれど私に払われたのは残業手当も新夜勤手当もないものだった。

Boomerang

ブーメラン…

ネットやテレビで最近よくものの例えに使われています。

私はこの例えが大好きだ。というのも、「まさに!」と納得のいくものばかりだから。

 

私は虐待サバイバーでありながら、いじめサバイバーでもあります。その、サバイバーからいくつか話しておきたいことがあります。

 

聞いてください。

 

もし私をいじめていた人が平然と生きているなら、その方が私に放った言葉の刃物がブーメランとして自分に帰ってくるでしょう。

無論それはその人の職業や地位や立場など選ばず。

 

いじめた理由…

周りがしてたから?

自身がいじめられたくなかったから?

楽しいから?

いじめないといけない理由があったから?

生理的に受け付けないからいじめていた?

 

全て人間性を疑います。

ブス、デブス、デブ、クソ、ビッチ、将来は関取、ブタ、キチガイ、気持ち悪い、低能、才能なし…

女子からなんて

「アンタの隣にいれば自分は痩せて可愛く見える」

全て私が言われた汚い言葉である。

それもクラスの人間のほぼ全員から。

 

単純な質問だけど

「自分が言われたらどう思うの?」

 

きっと嬉しくてそう言うのでしょう。

心が歪んでいますね、

病んでますね、

人と比較しないと自分が保てないほどヤバい人なんでしょうね、

人より上に立ちたい気持ちが強いんでしょうね、

頭が悪いんでしょうね、

人に愛されたことがないんでしょうね、

 

ホントくだらない。

くだらない理由で人をいじめてもいいことなんて一つもないのに。

それに得られるものなどない、失うものしかないのです、そういう方は。

 

そしてこういう人らの行く末は…

世の中で言われている

モンスターペアレント

「バカ親」

「ガキみてーな大人」

モラハラ上司」

「ヘリコプターペアレント

DQN

こんなところでしょう。

 

それで私をいじめていた人が例えば医者や教師、社長になっていたら…

それこそ

「モンスターティーチャー」

モラハラ上司」

DQN社員」

「リピーター医者」

「ヤブ医者」

「能力不足」

と呼ばれる立場になることでしょう。

 

全ては因果応報。

世の中全て因果応報…、時には人を殺す凶器にすらなりえる「言葉」で弱きものをいじめた結果は、それしかないと考えます。

 

そもそもそんな人たちの世話になりたくない。

息子の担任にもなってほしくない、主治医にもなってほしくない、同僚にも上司にもなってほしくない、友達にもなってほしくない。

 

ところでいじめをしていた人間が親になり、自身のお子様が誰かをいじめるとなっても…何も思わないんだろうね。

たとえ誰かを自殺に追い込むようなことになっても笑えるのでしょうか?

残酷なことをしていても笑えますか?

人を傷つけることをしていても笑えますか?

褒められますか?

 

考えてください。

あなたがいじめを目的として放ったその言葉、いつかあなた自身もしくはあなたの大切な人にブーメランとなって返ってきます。

いつかはその標的になることもあるでしょう。

 

そうなっても、頑張って生きてください。

人に唾を吐く男、吐かれる女

「合わない人間など放っておけ!」

 

そう言いたいわ、いつの時代もね。

そんな一言から始まった表題のエッセイでございます。

 

小学生の頃の私にはどうしても胸糞の悪い男がいた。彼の名は「ドブ岡ドブユキ」という男である。どんなきっかけでそうなったのかまでは覚えていないが、一年生になってしばらくすると、ドブユキは何故か私の跡をつけるようになってきた。それだけじゃなく、ランドセルに着いているキーホルダーを毎日チェックするのである。

私達の学校はランドセルを教室後方の棚に入れておくことになっていたのだが、そこの中までわざわざ覗いてまでランドセルを調べ上げるので気持ち悪かった。決まって「実験!実験!」と言って私のランドセルを調べ上げるものだから本当に嫌悪感しかなかった。

他の女子にはやらないのだが、私にだけはやるというたちの悪さ。一度ドブユキのせいで不登校になりかけたぐらい。

 

先生もこの実態を知っているのにも関わらず注意のひとつもしてくれず、私は気分が悪かった。クラスメイトも然り、誰も助けてくれない。もう最悪。

そして2年生になったらなったでまたしてもドブユキとは同じクラスとなった。相変わらずドブユキは私のランドセルを調べ上げる、行動をチェックする、まるでストーカーであった。そしてドブユキの行動はエスカレートしてしまうのだった。

下級生たちに「高坂はる香をいじめてもいい!」ということを言って回っていたそうだ。そして私は身上も知らぬ下級生からもいじめに遭った。

小学6年の時、この日はエリは休みであっこちゃんはブラスバンドの引き継ぎということで一人で帰っていた。すると後ろの方からガヤガヤと男の子たちの声が聞こえてきた。すると、いきなりそのうちの一人が私に襲いかかってきたのだ。

「一体これは?!」

と思う間もなく、その周りにいた下級生の男子たちが代わる代わる私に暴力を振るうのだった。中にはわざわざ戻ってきてまで顔を殴る者まで。確か7人ほどだった。

そこに下級生の女子数名が通りかかって、その男子らを追い払ってくれた。

「あんたら、何してんの?!」

「やめなさいよ!!先生に言うよ?!」

「はる香ちゃん、大丈夫?」

その子達は必死に止めに入って追い払ってくれた。けれど私はその後下級生の男子から耳を疑うセリフを聞くことに。

「だってドブユキくんがこいつのこといじめていいって言ったんだもん!」

悪びれる様子も無かった。こいつら、ドブユキの手先だったんか?!と腹立たしく思えていた。

ちなみに追い払ってくれた女子はクラブ活動などで仲良くなっていた私の知り合いということもあって、話を聞いてくれたのだが、私は同時にとても情けなくなった。下級生にいじめられ、下級生に励まされるなんて…と。

 

翌日。

私のいる教室にて。確か二時間目の授業中だっただろうか。五年生の学年主任が教室の扉を開けて、それに続いて男子児童数名が教室に入ってきた。その男子児童は私に暴力を奮った奴らだったのだ。

そして五年生の学年主任は皆に向けて

「この子たちは、このクラスの女子に暴力を奮ったのでここにいます。今からなぜそういうことをしたのか理由を話してもらい、謝罪してもらいます」

まさに公開処刑…だった。そして下級生の男子たちが一人ずつこう話す。

「ドブユキくんがいじめていいって言ったから」

「いじめていいって思ったから」

「ドブユキくんからいじめないと殺すって言われたから」

「ストレスがたまってたから」

ほとんどの奴の口から出たのはドブユキ…、やっぱりあいつだったか。そこでドブユキのクラスの先生とドブユキが私のクラスに連れて来られた。

「ドブ岡、これはどういう事なの?下級生にいじめをしろって命令したの?」

先生はドブユキを責める。しかしドブユキは

「言ってない、こいつらが勝手にやった」

とシラを切る。だが、下級生たちは

「毎日ずっと言ってた!それに跡をつけて「あいつだ!」とまで言ってたじゃん!」

「ドブユキくん嘘つき!」

そんなこんなで教壇前でドブユキと下級生男子らによるくだらない痴話喧嘩が始まった。うちの担任もクラスメイトもさすがに呆れている。

学年主任もさすがに見かねたようで

「いい加減にしなさいっ!あなた達ねぇ、理由がどうでも人をいじめるなんて最低だよ!ここに何するために来たの?高坂はる香さんに謝りに来たんでしょう?」

と怒鳴りつけた。五年生の学年主任ってこんなに怖かったっけ??というぐらいの剣幕だった。

 

謝罪はドブユキから始まり、他の下級生たちも私に謝ってきた。

「高坂さん、殴ってごめんなさい」

「ケガさせてごめんなさい」

「許してください、ごめんなさい」

その時ドブユキが薄ら笑いを浮かべたのを見た私はすかさずこう言った。

 

「許すことはできない!ドブユキと、ここにいる五年は絶対に許しません。ここで許すと言ってしまったらまた同じことをすると思うからです。そんなの簡単にわかる事でしょう?だから何があっても許しません、許したくありません」

そこで学年主任の先生が

「そう言わずに、この子達は反省してるの」と取ってつけたような物言いをしてくるので私は更に頭にきて

「じゃあこの話は校長先生に言ったんですか?それとも教頭先生にも言いましたか?集団でのいじめはテレビのニュースでも問題になってますよね?それに自殺した子供もいるのはご存知ですよね?」

学年主任は驚いたような表情だ。

続けて私は

「私はドブ岡に何も悪いことはしていません。それなのにいじめにあうなんて酷くないですか?しかも関係のない下級生まで使うとは卑怯です!そんな人間は許すと思いますか?土下座をしても許しません。警察に逮捕してもらってください」

 

と言って私は教室を出て行った。何なんだろう、みんなバカなんだな。

ああ、みんなバカだよ。

キチガイだよ。

人をいじめていい気になるなんて、本当に根性腐ってる。

その後担任からも許してやれと言われたが、私は断固として奴らの謝罪を受け入れることはしなかった。私は前日の暴力で口の中を切ってしまっていた。それ以前に心にはナイフでえぐられたような傷が残る結果になったから。

 

そして小学校を卒業、中学に進学した。

そんなある日、バス停でドブユキらに遭遇してしまった。私はドブユキらから離れて歩き出したのだが、追いかけられて事もあろうか唾を制服に吐かれたのだ。

唾を吐くとか?!ドブユキって…人として腐ってるとしか思えない。そう思った瞬間だった。制服も唾ひとつで汚物に見えるぐらいに気持ち悪く思い、捨ててしまいたいぐらいだった。

汚い、気持ち悪い…しばらく立ち直れなかった。ましてや人に吐いた唾など、私には耐えられない。

 

それから中学卒業まで、ドブユキとはクラスも一緒にはならず、卒業まで過ごすことに。だが、極めつけは…ドブユキの進学した高校は入試で名前さえ書けば合格するような教育困難校だった。

アハハ、高校合格おめでとう…ってところだった。ちなみに私は市内一の進学校と同等の学力が無いと合格できないような情報系の高校を受験、合格して入学。

 

ドブユキのような腐った根性の持ち主などいませんでした。

最低。ああ、嘘って最低だ・・・

つい数日前、我が家ではささやかながらのバレンタインデー・・・というわけで家族とチョコレートを食べていた。息子には某猫型ロボットのを、旦那にはマトリョーシカのデザインのをプレゼントした。

ま、どちらも可愛いものは好きなので選ぶのにはそんなに苦労しない。息子に限っては単純で、その時ハマっているキャラクターもので何ら問題は無い。

 

さて、今回ここに書くテーマは・・・「バレンタインデー」の話である。

私にはこの日にはとても嫌な思い出がある。そう、それと同時に「言葉は時として凶器にもなる」と実感した出来事だ。

 

今でも許せない、小学五年生のバレンタインデーの数日後の話。

ちょうど時期的にインフルエンザが流行る時期であり、私はバレンタインデー付近は見事にインフルエンザウイルスに感染して一週間ほど学校を出席停止となり休んでいた。その間クラスメイトにも会えず、とりあえずテレビと漫画が私の楽しみだった。けれど当時特効薬なるものが無く、自然に熱が下がるのを待つのみで夕方になると熱が出るなど、そういう症状が数日続くというそれは拷問か!と思えるものであった。結局学校に復帰できたのは二月の終わりごろになってしまったのだ。だから二月の中旬から下旬まで学校にいるはずがないのに、ある嘘の話がクラス中で広がっていたことはその時の私はまだ知る由もなかった。

 

学校へ復帰した日の朝。

エリと一緒に学校へ行った。教室に入るや則子やマミや士郎が私を見て笑う。

あっこちゃんに限っては部活の朝練に出ていたこともあって、その日の朝の登校は別だったからその場に彼女はいなかった。

私は「何を笑うの?何がおかしいの?」と則子らに言った。

すると則子らは

「あんたさぁ、士郎にバレンタインチョコあげたんでしょ?それもさぁ、溶けかかったやつで新聞紙に包んで渡したんでしょ~?あははは!」

エリ曰く、私のいないところでバレンタインデーの翌日からそういう話が出てきていたらしい。そしてエリもその話を信じたそうな、というのも士郎本人がクラスメイトの前でその話をしたからだった。どうやら最初はゴミを渡されたとも言っていたそうだ。ゴミから今度は新聞紙に包んだチョコを渡したとか、どう考えても不完全でお話にならないレベルである。更に言うなら私はこの日インフルエンザで学校には来れていなかったし、その状態でよその家になんて行けるはずもない。加えて熱だって出ているのに外を出歩けるわけがない、そんなこと五年生にもなれば分かるだろう。それも分からずそういう話を真に受けること自体今思うと真性の大馬鹿である。無知にも程がある・・・。

それにたとえ私がインフルで休んでいるのにと分かっているのに、その士郎の話を信じたうえでからかったとなれば、まさにいじめであり悪意のあることだろう。

 

私が士郎に新聞紙チョコを渡した話はすでに学年中に広がっていたのだ。

もう本当に誰も信じることなんてできないとまで思った。当時の小学校は2クラスしかないのでひとつの話は嘘であってもすぐに広がってしまうのだ。そして廊下を歩いていてもどこに行ってもすぐに後ろ指をさされて笑われる。私は知らないうちに笑いものになってしまっていたのだ。

本当に学校に居づらい状態、針の筵でしかなかった。学校じゅうの笑いものも同然だろう、いろいろなことを考えた。しまいにはエリやあっこちゃんもその話を信じたというのだから、私は本当に誰も信じることが出来ないという気持ちになっていった。そしてその数日後にはエリもあっこちゃんも私から離れてしまった。そう、私はひとりぼっちになってしまった。

ひとりぼっちになってしまったうえにどこを歩いていても笑われる。「新聞紙に包んだチョコあげた人」という変なあだ名がついたりもしたし、挙句大の仲良しだったエリやあっこちゃんには「あんたといると、私もいじめられるから」という辛辣な台詞を吐かれてしまった。もう泣いても泣いても悲しさが晴れることなんてない!そういう気持ちが自身を支配してしまっていた。そして次第に学校にも行かない日も出てくるようになり、学校に行っても保健室登校をしばらく続けていた。

そんなある日、保健室でひとり考え事をしていて先生が声をかけても私は反応せず、そのままぼーっと一日を過ごす日が増えた。もう誰にも会いたくない、誰も本当のことなんて信じてくれない、これっていじめ?人をいじめて何が楽しいの?何が面白いの?私が何をしたっていうの?そんな好きでもない人にチョコなんて渡していないし、そもそもその日はインフルエンザで学校を休んでいたのに・・・わざわざ家を抜け出してチョコを渡すなんで出来るわけないじゃない!こっちは熱で苦しんでいたっていうのに。それに言うまでもなく私は士郎なんて好きじゃないし、好きな男の子なんていなかった。それなのに・・・

その思いだけがずっと頭の中をぐるぐる回る。気が付いたら私は自殺を考えるようになっていた。「もう死にたい」という思いしか自分の気持ちには無かったのだ。すでに私はその時点で親も心配するぐらいに無気力になってしまっていた。親にも言えない、先生にも相談できない、どうしよう、やっぱり死ぬことしか逃げる道は無いの?・・・死ぬしかない・・・。きっとそういう流れだったのだろう。そのあたりに死ぬことばかりを考えるようになっていた私のその気持ちを思いとどまらせる事が起きた。

学校を休んでいた私のところに、エリとあっこちゃんが家に訪ねてきた。母が彼女らを家にあげて、リビングに通した。そこに私が出ていく。

私は一体どういうことなの?といった雰囲気だった。何かたずねようとしたとき、エリが

「・・・ごめんなさい。はる香ちゃんのこと、信じてあげたかったんだけど・・・私いじめられるのが怖くてそれで・・・。あっこにも怒られて・・・本当にごめんなさい!!」

続けてあっこちゃんも

「私もごめんなさい。士郎やマミに『あんたらも士郎を信じるんでしょ?信じないっていうなら殺すよ?』って言われて信じるしかなかったの・・・だから・・・。それにこれ、あいつらクラスの女子全員に言ったんだよ・・・」

と泣きながら言った。あっこちゃんに限っては本当に怖くなったようだった。基本彼女は人に流されるような性格ではなく、ゴーイングマイウェイというような性格の持ち主だってことは長い付き合いで私は知っていた。けれどエリの方は本当にそれを信じていたというもんだから恐ろしくなった。エリはあっこちゃんとは真逆ですぐに人に流されるし、誰かが言ったことはそのまま信じ込んでしまう性格である。おまけにだいぶ甘やかされて育ったせいか、わがままがひどいのだ。だから正直エリが謝罪したことについては信じがたいとも思えてしまったが、あっこちゃんがエリを説教して正したということも後に聞かされて私も納得できたのだ。

その場には私の母もいたこともあり、エリとあっこちゃんが事情を説明しこの事件はいったん収束したのだ。だが、それでも私の心の傷は消えない。きっと一生消えることなんてないと思う。

 

ひとりの嘘で別のひとりの人生が変わってしまう。不幸になってしまう。

言葉は時として凶器となる・・・そのいい例だ。

私は今でもきつい物言いをすることがある、しかし言葉を大事に思う気持ちは変わらない。だからいくら嫌いな相手がいたとしてもそんな嘘を吹き込んでまで陥れるなんてしようとは思わない。せいぜい相手にしないぐらいにしている。それに嫌いな人にわざわざその人の悪口を言ってきたり嘘を吹き込んでまでして陥れて、その姿を見て喜んでいる人間なんて本当に哀れとしか言いようがない。

そもそも言葉ひとつで人の人生を変えてしまうこともある、言葉ひとつで人を殺める、死に追いやることだってできる、言葉ひとつで社会的地位を無くすことだってできる、無論それはいつか何倍にもなってブーメランのように自分に返ってくるだろう。

他人にだけじゃない、言葉というのは自分自身の信用を無くすことだって自分自身を死においやることだって可能なのだ。だからこそ言葉は大事にしてほしい。