Darkness world -ある捻くれ者のつぶやき-

成瀬香織です。私の幼少期からの出来事をエッセイ形式で書いていきます。(ちなみにこれは全て私の心理カウンセリングで使われたものです。虐待などの内容を含むため、閲覧にはご注意ください)

人に唾を吐く男、吐かれる女

「合わない人間など放っておけ!」

 

そう言いたいわ、いつの時代もね。

そんな一言から始まった表題のエッセイでございます。

 

小学生の頃の私にはどうしても胸糞の悪い男がいた。彼の名は「ドブ岡ドブユキ」という男である。どんなきっかけでそうなったのかまでは覚えていないが、一年生になってしばらくすると、ドブユキは何故か私の跡をつけるようになってきた。それだけじゃなく、ランドセルに着いているキーホルダーを毎日チェックするのである。

私達の学校はランドセルを教室後方の棚に入れておくことになっていたのだが、そこの中までわざわざ覗いてまでランドセルを調べ上げるので気持ち悪かった。決まって「実験!実験!」と言って私のランドセルを調べ上げるものだから本当に嫌悪感しかなかった。

他の女子にはやらないのだが、私にだけはやるというたちの悪さ。一度ドブユキのせいで不登校になりかけたぐらい。

 

先生もこの実態を知っているのにも関わらず注意のひとつもしてくれず、私は気分が悪かった。クラスメイトも然り、誰も助けてくれない。もう最悪。

そして2年生になったらなったでまたしてもドブユキとは同じクラスとなった。相変わらずドブユキは私のランドセルを調べ上げる、行動をチェックする、まるでストーカーであった。そしてドブユキの行動はエスカレートしてしまうのだった。

下級生たちに「高坂はる香をいじめてもいい!」ということを言って回っていたそうだ。そして私は身上も知らぬ下級生からもいじめに遭った。

小学6年の時、この日はエリは休みであっこちゃんはブラスバンドの引き継ぎということで一人で帰っていた。すると後ろの方からガヤガヤと男の子たちの声が聞こえてきた。すると、いきなりそのうちの一人が私に襲いかかってきたのだ。

「一体これは?!」

と思う間もなく、その周りにいた下級生の男子たちが代わる代わる私に暴力を振るうのだった。中にはわざわざ戻ってきてまで顔を殴る者まで。確か7人ほどだった。

そこに下級生の女子数名が通りかかって、その男子らを追い払ってくれた。

「あんたら、何してんの?!」

「やめなさいよ!!先生に言うよ?!」

「はる香ちゃん、大丈夫?」

その子達は必死に止めに入って追い払ってくれた。けれど私はその後下級生の男子から耳を疑うセリフを聞くことに。

「だってドブユキくんがこいつのこといじめていいって言ったんだもん!」

悪びれる様子も無かった。こいつら、ドブユキの手先だったんか?!と腹立たしく思えていた。

ちなみに追い払ってくれた女子はクラブ活動などで仲良くなっていた私の知り合いということもあって、話を聞いてくれたのだが、私は同時にとても情けなくなった。下級生にいじめられ、下級生に励まされるなんて…と。

 

翌日。

私のいる教室にて。確か二時間目の授業中だっただろうか。五年生の学年主任が教室の扉を開けて、それに続いて男子児童数名が教室に入ってきた。その男子児童は私に暴力を奮った奴らだったのだ。

そして五年生の学年主任は皆に向けて

「この子たちは、このクラスの女子に暴力を奮ったのでここにいます。今からなぜそういうことをしたのか理由を話してもらい、謝罪してもらいます」

まさに公開処刑…だった。そして下級生の男子たちが一人ずつこう話す。

「ドブユキくんがいじめていいって言ったから」

「いじめていいって思ったから」

「ドブユキくんからいじめないと殺すって言われたから」

「ストレスがたまってたから」

ほとんどの奴の口から出たのはドブユキ…、やっぱりあいつだったか。そこでドブユキのクラスの先生とドブユキが私のクラスに連れて来られた。

「ドブ岡、これはどういう事なの?下級生にいじめをしろって命令したの?」

先生はドブユキを責める。しかしドブユキは

「言ってない、こいつらが勝手にやった」

とシラを切る。だが、下級生たちは

「毎日ずっと言ってた!それに跡をつけて「あいつだ!」とまで言ってたじゃん!」

「ドブユキくん嘘つき!」

そんなこんなで教壇前でドブユキと下級生男子らによるくだらない痴話喧嘩が始まった。うちの担任もクラスメイトもさすがに呆れている。

学年主任もさすがに見かねたようで

「いい加減にしなさいっ!あなた達ねぇ、理由がどうでも人をいじめるなんて最低だよ!ここに何するために来たの?高坂はる香さんに謝りに来たんでしょう?」

と怒鳴りつけた。五年生の学年主任ってこんなに怖かったっけ??というぐらいの剣幕だった。

 

謝罪はドブユキから始まり、他の下級生たちも私に謝ってきた。

「高坂さん、殴ってごめんなさい」

「ケガさせてごめんなさい」

「許してください、ごめんなさい」

その時ドブユキが薄ら笑いを浮かべたのを見た私はすかさずこう言った。

 

「許すことはできない!ドブユキと、ここにいる五年は絶対に許しません。ここで許すと言ってしまったらまた同じことをすると思うからです。そんなの簡単にわかる事でしょう?だから何があっても許しません、許したくありません」

そこで学年主任の先生が

「そう言わずに、この子達は反省してるの」と取ってつけたような物言いをしてくるので私は更に頭にきて

「じゃあこの話は校長先生に言ったんですか?それとも教頭先生にも言いましたか?集団でのいじめはテレビのニュースでも問題になってますよね?それに自殺した子供もいるのはご存知ですよね?」

学年主任は驚いたような表情だ。

続けて私は

「私はドブ岡に何も悪いことはしていません。それなのにいじめにあうなんて酷くないですか?しかも関係のない下級生まで使うとは卑怯です!そんな人間は許すと思いますか?土下座をしても許しません。警察に逮捕してもらってください」

 

と言って私は教室を出て行った。何なんだろう、みんなバカなんだな。

ああ、みんなバカだよ。

キチガイだよ。

人をいじめていい気になるなんて、本当に根性腐ってる。

その後担任からも許してやれと言われたが、私は断固として奴らの謝罪を受け入れることはしなかった。私は前日の暴力で口の中を切ってしまっていた。それ以前に心にはナイフでえぐられたような傷が残る結果になったから。

 

そして小学校を卒業、中学に進学した。

そんなある日、バス停でドブユキらに遭遇してしまった。私はドブユキらから離れて歩き出したのだが、追いかけられて事もあろうか唾を制服に吐かれたのだ。

唾を吐くとか?!ドブユキって…人として腐ってるとしか思えない。そう思った瞬間だった。制服も唾ひとつで汚物に見えるぐらいに気持ち悪く思い、捨ててしまいたいぐらいだった。

汚い、気持ち悪い…しばらく立ち直れなかった。ましてや人に吐いた唾など、私には耐えられない。

 

それから中学卒業まで、ドブユキとはクラスも一緒にはならず、卒業まで過ごすことに。だが、極めつけは…ドブユキの進学した高校は入試で名前さえ書けば合格するような教育困難校だった。

アハハ、高校合格おめでとう…ってところだった。ちなみに私は市内一の進学校と同等の学力が無いと合格できないような情報系の高校を受験、合格して入学。

 

ドブユキのような腐った根性の持ち主などいませんでした。

最低。ああ、嘘って最低だ・・・

つい数日前、我が家ではささやかながらのバレンタインデー・・・というわけで家族とチョコレートを食べていた。息子には某猫型ロボットのを、旦那にはマトリョーシカのデザインのをプレゼントした。

ま、どちらも可愛いものは好きなので選ぶのにはそんなに苦労しない。息子に限っては単純で、その時ハマっているキャラクターもので何ら問題は無い。

 

さて、今回ここに書くテーマは・・・「バレンタインデー」の話である。

私にはこの日にはとても嫌な思い出がある。そう、それと同時に「言葉は時として凶器にもなる」と実感した出来事だ。

 

今でも許せない、小学五年生のバレンタインデーの数日後の話。

ちょうど時期的にインフルエンザが流行る時期であり、私はバレンタインデー付近は見事にインフルエンザウイルスに感染して一週間ほど学校を出席停止となり休んでいた。その間クラスメイトにも会えず、とりあえずテレビと漫画が私の楽しみだった。けれど当時特効薬なるものが無く、自然に熱が下がるのを待つのみで夕方になると熱が出るなど、そういう症状が数日続くというそれは拷問か!と思えるものであった。結局学校に復帰できたのは二月の終わりごろになってしまったのだ。だから二月の中旬から下旬まで学校にいるはずがないのに、ある嘘の話がクラス中で広がっていたことはその時の私はまだ知る由もなかった。

 

学校へ復帰した日の朝。

エリと一緒に学校へ行った。教室に入るや則子やマミや士郎が私を見て笑う。

あっこちゃんに限っては部活の朝練に出ていたこともあって、その日の朝の登校は別だったからその場に彼女はいなかった。

私は「何を笑うの?何がおかしいの?」と則子らに言った。

すると則子らは

「あんたさぁ、士郎にバレンタインチョコあげたんでしょ?それもさぁ、溶けかかったやつで新聞紙に包んで渡したんでしょ~?あははは!」

エリ曰く、私のいないところでバレンタインデーの翌日からそういう話が出てきていたらしい。そしてエリもその話を信じたそうな、というのも士郎本人がクラスメイトの前でその話をしたからだった。どうやら最初はゴミを渡されたとも言っていたそうだ。ゴミから今度は新聞紙に包んだチョコを渡したとか、どう考えても不完全でお話にならないレベルである。更に言うなら私はこの日インフルエンザで学校には来れていなかったし、その状態でよその家になんて行けるはずもない。加えて熱だって出ているのに外を出歩けるわけがない、そんなこと五年生にもなれば分かるだろう。それも分からずそういう話を真に受けること自体今思うと真性の大馬鹿である。無知にも程がある・・・。

それにたとえ私がインフルで休んでいるのにと分かっているのに、その士郎の話を信じたうえでからかったとなれば、まさにいじめであり悪意のあることだろう。

 

私が士郎に新聞紙チョコを渡した話はすでに学年中に広がっていたのだ。

もう本当に誰も信じることなんてできないとまで思った。当時の小学校は2クラスしかないのでひとつの話は嘘であってもすぐに広がってしまうのだ。そして廊下を歩いていてもどこに行ってもすぐに後ろ指をさされて笑われる。私は知らないうちに笑いものになってしまっていたのだ。

本当に学校に居づらい状態、針の筵でしかなかった。学校じゅうの笑いものも同然だろう、いろいろなことを考えた。しまいにはエリやあっこちゃんもその話を信じたというのだから、私は本当に誰も信じることが出来ないという気持ちになっていった。そしてその数日後にはエリもあっこちゃんも私から離れてしまった。そう、私はひとりぼっちになってしまった。

ひとりぼっちになってしまったうえにどこを歩いていても笑われる。「新聞紙に包んだチョコあげた人」という変なあだ名がついたりもしたし、挙句大の仲良しだったエリやあっこちゃんには「あんたといると、私もいじめられるから」という辛辣な台詞を吐かれてしまった。もう泣いても泣いても悲しさが晴れることなんてない!そういう気持ちが自身を支配してしまっていた。そして次第に学校にも行かない日も出てくるようになり、学校に行っても保健室登校をしばらく続けていた。

そんなある日、保健室でひとり考え事をしていて先生が声をかけても私は反応せず、そのままぼーっと一日を過ごす日が増えた。もう誰にも会いたくない、誰も本当のことなんて信じてくれない、これっていじめ?人をいじめて何が楽しいの?何が面白いの?私が何をしたっていうの?そんな好きでもない人にチョコなんて渡していないし、そもそもその日はインフルエンザで学校を休んでいたのに・・・わざわざ家を抜け出してチョコを渡すなんで出来るわけないじゃない!こっちは熱で苦しんでいたっていうのに。それに言うまでもなく私は士郎なんて好きじゃないし、好きな男の子なんていなかった。それなのに・・・

その思いだけがずっと頭の中をぐるぐる回る。気が付いたら私は自殺を考えるようになっていた。「もう死にたい」という思いしか自分の気持ちには無かったのだ。すでに私はその時点で親も心配するぐらいに無気力になってしまっていた。親にも言えない、先生にも相談できない、どうしよう、やっぱり死ぬことしか逃げる道は無いの?・・・死ぬしかない・・・。きっとそういう流れだったのだろう。そのあたりに死ぬことばかりを考えるようになっていた私のその気持ちを思いとどまらせる事が起きた。

学校を休んでいた私のところに、エリとあっこちゃんが家に訪ねてきた。母が彼女らを家にあげて、リビングに通した。そこに私が出ていく。

私は一体どういうことなの?といった雰囲気だった。何かたずねようとしたとき、エリが

「・・・ごめんなさい。はる香ちゃんのこと、信じてあげたかったんだけど・・・私いじめられるのが怖くてそれで・・・。あっこにも怒られて・・・本当にごめんなさい!!」

続けてあっこちゃんも

「私もごめんなさい。士郎やマミに『あんたらも士郎を信じるんでしょ?信じないっていうなら殺すよ?』って言われて信じるしかなかったの・・・だから・・・。それにこれ、あいつらクラスの女子全員に言ったんだよ・・・」

と泣きながら言った。あっこちゃんに限っては本当に怖くなったようだった。基本彼女は人に流されるような性格ではなく、ゴーイングマイウェイというような性格の持ち主だってことは長い付き合いで私は知っていた。けれどエリの方は本当にそれを信じていたというもんだから恐ろしくなった。エリはあっこちゃんとは真逆ですぐに人に流されるし、誰かが言ったことはそのまま信じ込んでしまう性格である。おまけにだいぶ甘やかされて育ったせいか、わがままがひどいのだ。だから正直エリが謝罪したことについては信じがたいとも思えてしまったが、あっこちゃんがエリを説教して正したということも後に聞かされて私も納得できたのだ。

その場には私の母もいたこともあり、エリとあっこちゃんが事情を説明しこの事件はいったん収束したのだ。だが、それでも私の心の傷は消えない。きっと一生消えることなんてないと思う。

 

ひとりの嘘で別のひとりの人生が変わってしまう。不幸になってしまう。

言葉は時として凶器となる・・・そのいい例だ。

私は今でもきつい物言いをすることがある、しかし言葉を大事に思う気持ちは変わらない。だからいくら嫌いな相手がいたとしてもそんな嘘を吹き込んでまで陥れるなんてしようとは思わない。せいぜい相手にしないぐらいにしている。それに嫌いな人にわざわざその人の悪口を言ってきたり嘘を吹き込んでまでして陥れて、その姿を見て喜んでいる人間なんて本当に哀れとしか言いようがない。

そもそも言葉ひとつで人の人生を変えてしまうこともある、言葉ひとつで人を殺める、死に追いやることだってできる、言葉ひとつで社会的地位を無くすことだってできる、無論それはいつか何倍にもなってブーメランのように自分に返ってくるだろう。

他人にだけじゃない、言葉というのは自分自身の信用を無くすことだって自分自身を死においやることだって可能なのだ。だからこそ言葉は大事にしてほしい。

えこひいき、からの復讐劇。そして報復

小学校4年生の頃の担任の話である。

40代中盤ほどの女性教諭が私たちのクラス担任になった。私はこの教諭(以下吉本先生)を最後まで好きになれなかった。というのも「勉強が出来る子」だけをえこひいきしており、勉強が出来れば何をしてもいいというスタンスの持ち主だったから。その「勉強が出来れば何をしてもいい」というのは人に迷惑をかける悪いことでも彼女は許していた。

最初の頃こそ私は吉本先生を嫌うことなど無かったが、彼女は徐々に勉強が出来るクラスメイトをひいきするようになり、彼らがどんなに威張り散らしても何をしても「この子はそんな悪いことするはずがない!」などとなっていた為、私らクラスの児童は吉本先生を嫌がるようになった。そして吉本からひいきされていた児童はクラスの中で常に王様、女王様気取り。見ていて気分がいいはずがないのだ。

そんなある日、学級会でクラスの学級委員長も副委員長を決めることになった。うちの学校では4年生から学級委員長と副委員長を一人ずつクラスに置くことになっていた。そこで学級会を開いて決めようという話になっていたはずなのだが、ここでも吉本の独断で委員長も副委員長も決まってしまった。ちなみに吉本が委員長に指名したのはキミアキ君という男子(「友達選びは全てご自身の責任で行いましょう」参照)、そして副委員長に指名したのが幸子(「いじめ」の項目を参照)だった。確かにキミアキ君も幸子も勉強は出来る。が、私はどちらも好きではなかった。というのもどちらも平気で人を見下したり嫌がらせをするなど性格が悪いから。正直予想は出来ていたが、いざ吉本の独断で決定となると余計にストレスだった。

 吉本はある意味クラス内では女帝のような雰囲気だった。常にひいきをする、勉強が苦手な子や成績のよくない子に対しては理不尽なまでに厳しく接するのだ。あとはいじめなどクラスの調和を乱す児童に対しては容赦なく厳しい、これは当たり前だが…

 

学習発表会の時期になり、私たちの学年でも劇をやることになり配役を決めることになった。

劇は「野口英世」。幼少期から医者になるまでを学年で演じるというものだ。当時の4年生のクラスは2クラス、隣のクラスの担任は教諭になって二年目という若い女性の先生だったせいか、配役はほとんど吉本が決めていた。最初は児童らにやりたい役を聞いた。そこで役ごとに吉本によってオーディションが行われた。私は清作の姉役に立候補していたのだが、そこには吉本から直接ひいきをされているわけではないが、隣のクラスの優花(「いじめ」の項目参照)もいた。優花は4年生になっても担任から気に入られている存在であり、やはり隣のクラスでも相変わらず女王様気取りだった。他には当時隣のクラスだったマミ(「いじめ」の項目参照)も立候補しており、彼女らの他にも数名が立候補していた。実はマミもこの時点で既に担任に媚を売っているような存在であり、オーディションはやったものの結局清作の姉役はマミに決定した。そして清作の母役は立候補していなかったにも関わらず、優花に決まった。

落選したので、私は次に村人役に立候補をした。やはり舞台に上がる役をやりたい、当時の私はそう思っていた。だが、そこで吉本は私に「高坂さんはとても声が大きいので、村人役は向いてないと思うの。村人役は台詞なんて無いし、だからあなたは呼びかけをやってほしいんだ」と。その一言で私はやりたくなかった呼びかけに回されてしまった。無論私の了解など無しで。ちなみに呼びかけとは劇の進行役のようなもので、オーディションに落ちた児童らが大人数で行うものであった。呼びかけも確かに大事な役なのかもしれないが、私はやはり舞台に上がる役をやりたかった。それだけではなく、幸子も呼びかけになり、吉本から「みんなのまとめ役」を任されたために幸子は練習の時も常に練習を仕切っていた。

この劇は清作が囲炉裏に落ちて手を火傷する、小学校に入った清作がいじめに遭う、清作が宿屋の大吉らと学校をサボる、学校をサボった事が母親にバレる、呼びかけの進行の下清作が医者になるまでの話をするという順番で構成されていた。無論シーンごとに配役も違う児童に割り当てられるのだが、言うまでもなく隣のクラスの担任は空気同然、吉本が全て仕切って配役を決めてしまったのだ。そしてこのやり方にクラスメイト達の不満も爆発しないはずがなかった。吉本がいない場所では「絶対えこひいきに決まってる」「何であいつが?」「主役級の役は吉本からひいきされてる奴か隣のクラスで先生に媚を売っているような奴ばっかじゃん!」などと子供達から文句が出始めていた。

そんな中、台詞のある最後のシーンである清作が学校をサボった事が母親にバレるという場面で清作役を吉本から指名されたのは、クラスのいじめっ子である関根君だった。彼は自分よりも弱い立場の子を見るとすぐに暴力を奮うなどのいじめをしていたこともあり、クラスメイトたちからは吉本の一言に不満が噴出した。

次々と不満を口にする子供達、吉本も困惑していた。私も不満を口にした。そして一人ずつ挙手をしては「その役は関根君には相応しくありません」「私は反対です」「関根君はいじめっ子だからその役はやってほしくない」と反対意見を述べ、関根君が清作役をやることに反対したのだ。そこで吉本もさすがに関根君が清作役をすることを撤回するかと思いきや、泣き落とし同然にクラスメイト達を説得し始めた。

吉本は「関根君は確かにいじめっ子。だけどこういう役をやることでいじめをしなくなると思うの、だからこれは関根君にしてもらえない?」と言う、クラスメイト達の不満は残る形になったがほぼ強引に清作役は関根君に決定となった。決定事項であってもやはり児童らからは次々と不満は出てくる。「何で関根なんだよ」「あいつの親がPTAにいるからじゃねぇの?」「あーくだらねー」など、毎日のように聞いていた。

それをよそに練習は進んでいく。

そして体育館での通し稽古の時、私はこう思った。

「うわぁー、リアルいじめっ子が逆の役ですか・・・。滑稽だわ」と。これがリアルに起きてくれたらと願うばかりだった。関根君はなぜか幼稚園児の頃から誰かをいじめては喜んでいるタイプであり、まさにジャイアンのような奴だった。ただジャイアンと違うのは、いざという時に誰かを守ってくれるような場面がない事。ある意味ジャイアンよりも強いジャイアニズム精神の持ち主だった。そして自身の悪事を咎められても言い訳をしたうえに被害者に責任を無理やりなすりつけて逃げるという酷いやり方を堂々としていた。そのため、同じように常に悪い事をしている男子数名ぐらいしか友達はおらず、クラスメイトたちからは嫌われていた。本当に最低な男だ。無論私も被害を受けていた。ある日、関根君に思いっきり蹴られて脚にあざができてしまったのだ。それは明らかに関根君にやられたのだが、それを親経由で先生に言ったのだが、先生が介入するや彼は「俺だって高坂に叩かれてあざが出来た。だから俺は悪くない」と開き直る始末、タチが悪い。私以外にもそういう女子は多数いた。それに弱者には威張り散らす、理不尽なことをするなど、悪評高いものだった。そして関根君のせいで学校に来る事ができなくなった女子もいたぐらいだった。そのために、ずっと子供たちの不満は残った。

けれど教師である吉本らは学習発表会の劇の仕上がりに大満足だった。某ドラマの「あんたたち、やったわよ!」みたいな雰囲気だった事は今でも忘れない。それと裏腹に児童らの呆れた表情、それも忘れない。

 

それから時が過ぎて私たちは5年生になった。さすがにもう吉本が担任になることは無いだろうと思っていた。だが彼女は5年生の担任に持ち上がった。運良く私はエリとあっこちゃんと共に吉本のクラスになることはなかった。心底嬉しかった。

その後も吉本のクラスにいる友人から彼女の傍若無人っぷりを聞く事ができていたので、相変わらずなんだなぁとは思っていた。やはり吉本のクラスではそのクラスの児童であるキミアキ君と優花はご贔屓筋だった。簡単に想像できることであっても、やっぱりねと落胆した。彼女はなにも変わっていなかったからだ。無論吉本のクラスの友人らからは「何だかね、何をしてもキミアキ君か優花にばっかり優しくしてんだよ。宿題だって無茶苦茶な物しか出さないし」と不満の声すら出ていた。

そんな中、吉本にあるあだ名がつき始めた。それは・・・「ビチ子」というもの。

あまり言いたく無いのだが、吉本は常に厚化粧をしているのだ。正直特殊メイクか?と言いたくなるぐらい、笑うとファンデーションがボロっと落ちるんじゃないかってぐらいにビチっと化粧をしているのだ。そして化粧品の臭いを毎日プンプンさせて授業をしているのだから、そういうあだ名がつくのも無理はない。その日から私たち児童らはクラス関係なく彼女を「ビチ子」と呼ぶようになった。

後に知ったのだが、ビチ子というあだ名が存在したのは私たちが5年生になる前からだったそうだ。どうやら私たちが4年生の頃の後半には既に上級生の間ではそのあだ名で呼ばれていたそうだ。誰が見ても、吉本は化粧がビチってるというぐらいに厚化粧、ということだったのだろう。実は私も初対面で吉本はとんでもない厚化粧だなと思ったぐらいだった。まさに仮面でも着けているのか?というぐらいに肌は白く塗られており、アイラインはビシッと引かれていて、口紅も不自然に赤い。それと明らかに首と顔の色が違う、ツートンカラーが成立してしまうぐらいに不自然なのだ。彼女の皮膚は皮膚呼吸が出来ていたのか?と今は思えてしまう。そして化粧を落としたらきっと違う顔なのだろうと当時から思ってしまったぐらいだ。それでも性格がよくて、児童らに対しても分け隔てなく接しているのであれば児童らから変なあだ名で呼ばれることもきっとなかったのだろう。

彼女も実は黙っていなかった。

5年生になれば私たちの学校では宿泊訓練と言ってスキー教室に泊りがけで行くことになっていた。そこで事件が起きた。

宿泊訓練の2日目、吉本のクラスの男子がいる部屋にてその日1日の準備をしていた時だった。男児らでビチ子がさぁー、などと吉本に対しての不満を口にしていた。そこに偶然吉本が通り掛かりその男児らの部屋に入ってきてしまったのだ。しかも運悪く、吉本の贔屓筋であるキミアキ君もその班にいたのだ。そう、キミアキ君も吉本をビチ子と呼んでいたのだ。吉本はショックだっただろう・・・

彼女はキミアキ君たちに

「お前たち、ビチ子って誰のことだ?ビチ子は美人なのか?」

と問い詰めた。キミアキ君たちはバツが悪そうにだんまりしていたが、吉本は続けて

「森田(キミアキの苗字)くん、誰のことなんだか答えなさい」

とキミアキ君に詰め寄った。そしてキミアキ君は重い口を開き・・・

「せ、先生のことです。吉本先生のことです・・・」

と言わざるを得なくなってしまった。すると吉本は

「何?!先生のことか?」

と落胆した。そして泣き崩れた。吉本にとってはこれはショックだったのだろう。それは理解できる。しかしこうなったのも吉本の態度が気に入らない児童らが多数いたことにもよることであるので、彼女の自業自得であるのは明白だ。

しかし彼女も児童らへのペナルティを課さないはずもなく、宿泊訓練から帰った後に吉本のクラスの児童に限定し、反省文を書かせていたのだ。

当時吉本のクラスにいたアスカに聞いた話なのだが、彼女曰く「宿泊訓練から帰った翌日に吉本が帰りのホームルームにて『先生をビチ子と言ったことがある人は残りなさい』と言って居残りをさせられて、原稿用紙3枚に反省文を書かされた」とのことだった。アスカもそこに残らされて反省文を書かされたうちの1人だった。ここでも傍若無人で理不尽である、吉本のクラスの児童じゃなくてもそう思ったぐらいだ。話し合いもせず、一方的に居残りをさせて反省文なんてと・・・そう思った子供たちは多かっただろう。ついでに吉本はそういうあだ名をつけられるようなことをしたことに気づいていたのだろうか。これで知らないふりをしていた、先生は偉いと勘違いしていたのだったら救いようはない。

雑草魂

ずっとやりたい事、出来なかった。
何年かかっただろう、そんな中何度も「私は惨めだ」とか「どうしてこうなっちゃうんだろう」とか…そんなのばっかりだった。
本当はやりたい事あるのに…、そう思っていたのにその気持ちに嘘をついて「嘘の自分」を演じていた時もあった。そんな嘘にのめり込みそうにもなった。けど、やっぱりそんなの「嘘」でしかない。正社員の仕事を探すときも、嘘の志望動機で応募して面接した。そんなだから仕事にありつけても本気を出せなかった。

そして子供が生まれてから何かパートででもいいからお仕事したい、だけどここでも嘘の志望動機で履歴書を書いていることに気づいて嘘をついていた自分に絶望した。
「私さぁ、本当にこのままでいいの?本当にやりたいのは…筆を持つことだろ?」と自問自答の繰り返し。
その結果体も心も一度壊した、自身の手で。
修復まで長い時間は要したけれど、その中で見えてきたものは「誰の命令でも自分に嘘なんてつきたくない。もっと自分に正直になりたい、たとえ世間からアホだと言われてもいい、ヤジを飛ばされてもいい、怒鳴りつけられて否定されたっていい、OL時代みたいに稼げなくてもいい、白い目で見られても怖くない!」
不安なんて無かった。だから筆を持つことを選んだ。筆を持ってキャンバスに向かう、ペンタブ持ってディスプレイに向かってあーでもないこーでもないと言いながらも一心不乱に絵を描く。私はこれを望んでいたのだ。
まだ駆け出しの部類だろう、けれど筆をとったら私じゃない。私じゃなくなる。

絵描きになってもうすぐ三年目になる、事実最初の1年は仕事よりも勉強が主だったけど、それが自身の礎でもあるのかな。今も勉強や研究は欠かせない、取材も楽しいし。やはりこれが私の生き方なんだな、って思える。
LINEスタンプをメインで今は仕事してるけど、今後はもっと仕事の幅を広げたい。私は自身の筆でみんなを笑顔にしたいから。昨日泣いていた人もきょうは笑ってくれますように…

ここに来るまで…
雑草の如く踏まれて潰されて否定されて刈り取られて。けれど信念を曲げなくて本当によかった。

ストーカー

トーカー、されたこともあるがしたこともある。ストーカーをしたことについては、私は正直後悔していない。

というのも「世直し」のためにしたものだったからだ。

 

罪の無い女性に思わせ振りな態度をとったり、平気で嘘をついたり、でまかせを言って振り回すなど、女性として許せなかった。だから私はその男にわざとストーカー行為をしたのだ。無論それはすべて演技だった。

 

その相手とは、私が19歳の頃に私の1年後輩として入社してきた新人の男だった。飄々とした関西人、良く言えば人懐っこい、悪く言えば馴れ馴れしい。私の好みではない。

その新人(以下大久保さん)は、何かと私に声をかけてくるようになった。私も女子社員の中では一番若いこともあり、話しやすかったのだろう。本音を言ってしまうと「いつもニヤニヤしていて気持ち悪い」と思ってしまったぐらいだ。

 

しかし私の気持ちとは反対にやはり新人ということもあってか、雑用などを任せられる時には大久保さんと仕事をしなくてはならない。無論仕事ということもあり逃げられない。正直逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、仕事だと割りきって奴とは普通に話すようになった。

が、私は次第に大久保さんを見下すようになっていった。今で言うヘタレであり、いつもニヤニヤしている、先輩にも平気でタメ口を聞くなど、私には受け入れ難いキャラクターだったからだ。そして大久保さんは勘違いしたのか、私にもタメ口をきくようになりでまかせを言うようになっていった。

 

そんなある日の出来事。

朝出勤してきてデスク周りの掃除を済ませて朝礼に出たあと、各営業所から届く書類や郵便物を支社内の各部署ごとに分けていた時だった。

私は先輩社員の中川さんと一緒に世間話をしながら書類分けの作業をしていた。中川さんは私と同じ部署の先輩であり、姉御肌の女性だった。仕事に厳しいながら面倒見もいいので私は彼女と仕事をするのが嬉しくてたまらなかった。だからこうして通常業務外の書類分けの作業を一緒にするのを楽しみにしていた。

この日は中川さんと私はお互いの恋愛観の話で盛り上がっていた。というのも中川さんには長く付き合っていた彼氏がいて、つい先日婚約をしたという話を聞いたものだから私の恋愛観や恋愛事情についてもやはり質問されるのだ。

当時の私は彼氏もいなくフリーであり、恋愛をする気持ちも特になかった。ただ、好みのタイプはあったので、その話をしていた。

そしてそこに大久保さんが書類分けの作業にやって来たのだ。当時私の職場では書類分けの作業やその為雑用は女子社員の仕事であり、本来ならば男子社員である大久保さんは対象ではなかった。それなのに毎朝書類分けをしていると、大久保さんはやって来て一緒に書類を分けるのだ。恐らく彼の気持ちは「新人なんだから雑用全てをやらねば」というものだったのだろう。

この日の私と中川さんは前記のとおり恋愛観や恋愛事情の話をしていて、言うまでもなくその話は大久保さんの耳にも入ってしまった。私はさすがに大久保さんは私たちの話を黙って聞いているか「彼氏いるの?」ぐらいな話をしてくるのだろうと考えていた。しかし、彼は違った。私に彼氏がいないと知るや大久保さんは私にこう言った。

「高坂さんあのなぁ、○○営業所の原田さんがあんたのこと好きだって言うてたわ」

原田さん…、去年まで一緒に仕事をしていた私の同期だ。私のことを好き?いやいや、原田さんには彼女いるし、そもそも面倒くさい性格の原田さんのことは同僚としては好きだが、私の好みじゃないから。と、私は大久保さんの一言で困惑したのは言うまでもない。

それだけではなく、大久保さんから原田さんの話はほぼ毎日聞かされた。原田さんが私に会いたいと言っていただの私のことをもっと知りたいと言っていただのと。それだけじゃなく、ある朝私と中川さんがいつものように書類分けの作業をしていた時に、中川さんが彼氏から婚約指輪をもらった話をしてくれた。私は普通に「おめでとうございます!」と中川さんに言ったその時だった。どこからか大久保さんが現れて私にすかさず

「あのなぁ、原田さんが高坂さんに渡すって言って指輪を持ってたの俺見たよ」

と言ってきたのだ。

また原田さんの話ですか、と半ば呆れ気味な私。さすがにその場にいた中川さんもこのときは絶句していた。

好きだと言っている、会いたがっている、まぁそれだけなら別にいい。直接なにかがあるわけではないので。しかし付き合ってもいないのに指輪とか…正直そういう発想が気持ち悪い。原田さんとは確かに仲がいい、だがそういう関係ではないしそういう関係になるっりもなかった。だから「指輪を準備して持っていた」と言うのなら普通の感覚では気持ち悪いとしか思えない。

さすがに私もそういうことをツラツラ言う大久保さんに腹が立ってこう言い放った。

 

「そういう失礼な物言い、止めてもらえますか?事実出もないことを言われても嬉しくありません!」

 

さすがに大久保さんはその場で黙りこんだ。中川さんも何も言わず、黙々と書類を分けていた。私は大久保さんと同じ空間にいるのが嫌になり、その場から立ち去った。

デスクに戻ってもモヤモヤした気持ちは晴れなかった。

そもそも付き合ってもいないのに指輪とか、本当にそうなら気持ち悪いんだけど。それに私は原田さんのことは同僚としては好きだけど付き合うとかそういうのは考えられない。いろいろと面倒だから。それに私は原田さんの連絡先を交換してはいるけれど、仕事の話しかしてない…」

戸惑うしかないのだ。

そしてその日の昼休み、休憩に入った私は弁当を持って給湯室に向かい、お茶を入れて休憩室に向かおうとしていた。するとそこに大久保さんが現れたのだ。

「はぁ、正直顔も合わせたくないし話もしたくない…」

と私は思った。大久保さんはそんな私の気持ちを知ってか知らぬかいつものようにニヤニヤしながら

「今からお昼?」

と聞いてきた。ニヤニヤしていたのも気に入らなくて私は怒り口調で

「ええ、これが何に見えます?」

とだけ伝えてその場を去った。そして休憩室に着くと偶然ついていたお昼のバラエティー番組を見ながら弁当を食べた。この日は結局同僚や先輩たちともあまり余計な話をしなかった。

 

それから数日後、大久保さんは私に謝罪してきた。私は許すつもりもなかったが、同じ職場の同僚でもあるので、表向きでは許したつもりでいた。だから普段の話でもしばらくは仕事の話以外はしなかった。

新年度になり私は別の営業所に転勤が決まった。転勤前はなにかと忙しく残業の日々、土曜日も休日出勤をして残務処理をしていた。そんな中、最終の土曜日に休日出勤していたところ中川さんと大久保さんも休日出勤していたのだ。中川さんはいいのだが、大久保さんも…と不安になったのは言うまでもない。そしてその不安は的中した。

休憩をとることになり、私は中川さんと話をしながら缶コーヒーを飲んでいた。そこにお約束のように大久保さんも混ざってきて雑談を始めた。最初は普通に中川さんの新婚生活の話をしていたのだが、大久保さんは突然話題を変えて私にこう言った。

「高坂さん、あんたさぁ~…いつ見ても巨乳だよなぁ」

はぁ?!何言ってんだこの男は…と思いつつ私は

「さすがに選べるものじゃないんで…」と言葉を濁した。内心ここでも気持ち悪いと思っていたぐらいだ。「いつ見ても」って、この男は毎日私の胸ばかり見ているのか?と思ってしまう。更に気持ち悪い。

それを察したのか、中川さんは次の話題を振ってくれて、別の話をし始めた。そこで中川さんはすでに入籍も済ませて戸籍上の苗字は中川ではなく森田になっているが、職場では引き続き「中川由佳理」と名乗る、旦那さんは美容師さんであるなどと話していた。

 

そして残務処理も終わり、翌週から私は転勤先での業務をスタートさせた。しかし運悪く新しい職場での担当業務が大久保さんを通すことになってしまい、先行き不安な思いに苛まれた。

「またセクハラ言うんだろうな、あのクソ男は!」

そう思っていた。案の定セクハラ発言や虚言が無くなることはなかったのだ。私の転勤先はまず所長がいて、同期の原田さんがいる。そして同じ事務員の女性がひとりと、四人体制だった。そんな新しい職場で今度は所長によるセクハラや強要が普通にあった。営業所にいれば所長のセクハラパワハラ、支社に電話をすれば今度は大久保さんからのセクハラ…、心底嫌になった。

結局私はそこに1年いてその会社を辞めた。辞める少し前に原田さんが「高坂さんを励ます会をやろう!」と発案して大久保さんも呼ぶことになり、「高坂さんを励ます会」をやることになった。私個人の意見としては、どちらとも飲む気はなかったが、どちらかと言えば原田さんの方がまだいいという思いだった。そしてその席上でことの成り行きで大久保さんと連絡先を交換してしまったのだ。

 

無論私が会社を辞めた後も大久保さんは私へのセクハラ発言やでまかせ、虚言を止めなかった。この頃になると「妄想か?」というようなレベルだった。大久保さんは最初の頃こそ「高坂さんに職場で会えないのは悲しい」ぐらいの発言だったが、回を増すごとにエスカレートしていってひどい発言が目立つようになった。

「結婚したら俺に卵焼き作ってほしいなぁ」とか「今すぐ抱きたい!」とか「でき婚狙おう!」など。もう本当に妄想でしかないような発言が並んで私も気持ち悪くなった。そしてそんな中、大久保さんとその同期の方数名でスキーに出掛けたのだが、そこでも彼の私への態度は恐ろしいほどのものだった。他の人もいるのにいきなり抱きつく、キスしてと言う、手を無理やり繋ごうとする、体を触るなど。私にとっては地獄でしかなかった。そもそも大久保さんの同期の方は優しくて親切な人が多くて私も彼ら(大久保さんの同期の方々)を気に入っていた。だからスキーにはついていったのだ。

その後も彼からのセクハラや思わせ振りな態度がなくなるはずもなく、昼夜問わずしつこく思わせ振りな内容のメールが届く、電話がくるようになったので、私も普通に相手にする気を無くして仕返しを考えるようになっていった。

 

そこで思い付いたのは「偽ストーカー」というもの。偽ストーカー、それは散々思わせ振りな態度を私にしてきたことによって私が大久保さんに恋心を抱くようになったふりをするというもの。無論彼が私との交際を断れば私は表面上のストーカーとなるものである、

そして私は「好きになった!」と大久保さんに告白をした。しかし彼の答えは「友達以上にはなれない」というもの。

やはり予想通り、これまでの発言は全て虚偽だったということだ。もうここでそう分かった以上私は大久保さんに優しくする必要もないのだ。だからここでストーカーに成り済ますことになった。

まず、私が振られたという事実から始まり、私はそこでわざと大久保さんに「まだ好きなの、それにあなたは私にでき婚を狙おう!とか言ってたのにこれなの?」などと交際を迫ったのだ。もちろんそれは本心ではない。彼の口から出たでまかせや虚言を盾に私は彼に迫った。そしてそれもエスカレートしていき、ストーカーになりきってこれまでよりも更にきつく交際を迫ったのだ。

今まで私にはたくさん思わせ振りな態度や言動をとって、いざ蓋を開けたら「それらは全て嘘でした」となると私もバカにされた気持ちでいっぱいだった。だから思いきって私は仕返しをしようと彼へのストーカーまがいの行動を続けたのだ。

無論彼からストーカー呼ばわりもされた。けれどそんなものは痛くも痒くもなかった、女にそういう嘘を平気で言うような男に私は「女をなめるな!女も怒ると怖い」ということを教えてやりたかったのだ。

その表面上のストーカーはしばらく続き、私は自身の親友にも「私は裏切られたの!結婚詐欺だ」などと言って彼の悪口を吹き込んだ。親友だけじゃない、私の元職場である彼の職場、そこの知り合いにも彼の悪口を吹き込んだ。もちろん私は被害者であることを伝えて。こうして大久保の不祥事は私によって職場にバラされたのだ。

 

それからほどなくして私は彼が苦しんでいる旨元職場の知り合いから報告を受けたこともあり、彼から手を引いた。十分に報復しただろう、これで奴が反省してくれて他の女性に被害を与えなければいいのだが。そう思ったからだ。

女に散々嘘をつき、いざとなれば「そういうつもりじゃない」、「関西ではこういうのは当たり前」。そんなの私には関係のないことだ、人をバカにするんじゃない!なめるのも大概にしろ!

これで苦しんだ大久保を見て、私は快感だった。心で私は「もっと苦しめ!」と呟いていた。世の中は因果応報、自信の軽々しい言動が人を苦しめてその苦しみがいつか自分に返ってきた、それが大久保だった。

え?先生が・・・まさかの自殺?!

中学校3年生の2学期の終わりに、私たちの学校にいたある新米教師(以下藤山)が自殺をした。自殺をした時には別の学校に赴任していたのだが、実家が私たちの住む地域内にあったせいか、話はすぐに関係者の間に広がった。

その日は土曜日だった。当時土曜日でも午前中は普通に学校があったので、いつものように登校して教室内で生徒たちはいつもと変わらず友達とダベったり漫画を読んだりしながら授業開始を待っていた。そして土曜日の一時間目は美術、教科担任は学年主任の先生(以下加山先生)だった。そしてこの時間もいつもと何ら変わらない。加山先生が教室に入ってきて生徒は起立をして礼をしてと。そして授業開始となるはずだった。この日は当時仕上げていた絵画を仕上げて提出するという段階だった、しかし授業開始まもなく加山先生の口から藤山が数日前に亡くなったと告げられた。

起立!礼!着席!

いつもどおり授業が始まった。そこで加山は重い口調で話し始めた。

「お前ら、藤山先生覚えているか?・・・実はだな、藤山先生・・・亡くなったんだってな」

無論転校してきた生徒以外は藤山の存在は存知ている、言うまでもなくどんな先生なのかなども知っているわけだ。先生曰く藤山は数日前に死亡、確か私たちの住む地域から車で2時間ほどの場所に前年に転勤していったはずだと・・・。じゃあ転勤先で何かがあったのか?などという憶測もあった。驚きはしたものの、授業は授業でいつもと変わらなかった。加山先生の口から死因は語られなかった。

 

授業が終わって休み時間、いつもは騒がしいはずの生徒たちだが、この日は藤山の一件で持ち切りだった。

「藤山が死んだって!」

「うそ!マジかよ!!」

「加山が今朝の授業で言ってたんだ!」

というようなやり取りばかりだったが、藤山が亡くなった話は瞬く間に学年中に広がった。そしてここで自殺なのか病死なのかいろいろな憶測が生徒たちの間で飛び交った。死因について加山先生の口から語られていないこともあり、加えて藤山の死亡がテレビや新聞でニュースになっていないこともあり、病死か自殺かというような話にもなったのだと思う、それは当然だ。無論受験シーズンにこのような話で生徒たちは少なくとも動揺していただろう。

 

藤山という教師は、私たちが中学1年生の頃に新採用で私たちの学校に赴任してきた英語の女性教師だった。後に知った話だが、藤山自身は勉強ができるタイプであり、中学から大学まですべて首席で卒業したほどであった。そして藤山自身が長年夢見ていた中学校教諭になったとのこと。彼女は私が中学校1年の頃のクラスの副担任であったが、彼女は私たちのクラスの英語教科担任ではなかった。だから実際には授業は受けたことはないので、彼女の授業がどんなものだったかまでははっきり分からない。ちなみに友人のアスカやエリのクラスの英語は藤山が教科担任だったのだが、アスカたちから聞いた限りでは生徒から慕われるような教師ではなかったようだ。(余談だがあっこちゃんのクラスと私たちのクラスの英語担任は別の男性教師だった)

 

アスカ曰く、ある授業中。

私たちの学校の英語の授業はなぜか授業が始まる前に英語の歌をうたうというのが当たり前だった。例えばABCソングとかみたいなもの。そこで藤山がある英語の歌の説明を生徒の前でして、例を見せたかったのだろう自らうたってみたところ、一部の生徒に冷やかされて歌うのをやめてしまったのだ。それだけじゃなく彼女の授業はいつも騒がしい。そこで当たり前のように藤山が生徒に向けて「静かにしてください!」などと注意をするのだが、クラス内の騒々しさは収まるどころかエスカレートするのだった。まさに学級崩壊レベルだ。というのも藤山自身、決して明るい雰囲気ではなく常に顔に縦線が入っているような雰囲気で、いつも青白い顔をしておりやせ形で黒のおかっぱ頭。言い方がよくないけれど私自身「幽霊みたい、お化け屋敷に居てもおかしくない」と思ってしまったほどだった。たとえば集合写真を撮ると、彼女のところだけが周りとは明らかに雰囲気が違っている、心霊写真のように見えることがあったぐらいだ。

藤山は私たちのクラスの副担任ということもあって担任が不在の日のホームルームなどに藤山が顔を出す。だが、ここでもやはりアスカのクラスの英語の授業のようになってしまっていた。それもそのはず、迫力というものが全くなく幽霊のような雰囲気で声も常に小声でボソボソ話す感じだからだ。教壇にいてもやはり雰囲気的に教室の隅っこにぽつんといるようになってしまっていた。だから余計に正直少しうるさい教室内で彼女の声を聴こうとしても教室の真ん中あたりに席があったらすでにそこで聞こえないレベルなのだ。そんな彼女がホームルームで注意事項などの話をしたとしても、もはや何を言っているのか聞き取れず、結局彼女は何を話したかったのか・・・と思えるほどであった。ただひとつだけ覚えていることがある。それは担任不在のある日のこと、藤山が帰りのホームルームに現れた。そしてここでも騒々しいという言葉がぴったりな雰囲気の教室内ということもあり、彼女の言葉など聞こえるはずもない。だが当時教室前方の席だった私の耳に何とか入ってきた言葉は「万引きは犯罪です、遊びじゃないんです」というような言葉だった。ちょうど地元のある本屋が店内での万引きの様子を防犯カメラで撮ったものをビデオテープにダビングして販売していたというニュースがあったので、それに基づいた話だったのだろうと思った。この話を担任がしたとなれば皆が黙って聞いていただろう、だが副担任になったらこの有様なのだ。結局ほとんどの生徒がこの話を聞いていなかっただろう。

エリ曰く彼女のクラスの英語の時間もアスカたちのクラスの英語の時間と同じような有様だそう。まさに誰も授業を聞かないような雰囲気、それだけじゃなくうるさすぎる、先生が注意しても誰かが騒ぎ立てて皆大騒ぎといったような感じの悪循環。そしてそんな藤山も仕返しなのか何なのか、2学期の中間テストの問題を出題した際に私たちがまだ習っていないものを出題してきたのだ。藤山の授業を受けていない生徒、受けている生徒問わず「習っていない」ということが発覚するや生徒たちから藤山への反感は大きくなる一方で、授業妨害とも言える騒々しさは更にエスカレートしたのだ。

 

そして中学1年の離任式。そこには藤山の姿もあった、送られる側に。

藤山は別の中学校に転勤することになったのだ。この時は「あー、転勤になるんだ」ぐらいにしか思わなかった生徒の方がほとんどだろう。ただ、一部では生徒たちにいじめられるから自ら教育委員会に転勤を申し出たという噂もあった。さすがに真相は不明だが、新採用で赴任して1年で転勤となるとやはりよからぬ事情があったのだろう。

それから1年半強の歳月が過ぎて、その藤山が亡くなったというのだから本当に驚いた。新採用でうちの学校に赴任して一年で転勤、その後の話は不明だが転勤後1年半ほどで死亡だから余計に・・・。それだけじゃなく藤山の実家が私たちの住む地域であることから、生徒たちも驚きを隠せない。無論この話は後に生徒だけじゃなく父兄たちの間でも広がり、藤山が死亡した経緯が自殺であることが判明することとなった。生徒から親の順に話が伝わり、そこで詳細を知る人たちからの話が親を通じて生徒たちに伝わってきたのだろう。

 

藤山は自宅近くの空き地にある立木に縄を吊るして、そこで首を吊って自ら命を絶ったのだ。父兄からの話によると彼女のその遺体は見るも無残な状態で発見されたそうだ。その後葬儀が執り行われたのだが本当はそこにいるはずの藤山の兄がそこに参列しておらず、目撃者が言うには葬儀当日、兄は藤山の葬儀が行われている自宅から離れたところにいて、葬儀の様子をじっと見ていたそうだ。そしてそれだけではなく、藤山の兄はその時とある宗教の服を着ていたようだ。その宗教というのは当時反社会的勢力だと言われ、全国各地で殺人などのテロ活動をしていた宗教ということもあり、藤山の兄の話は単独で父兄から生徒の間に瞬く間に広がった。

現役中学教諭、実家が地元、自殺ということもあり、兄の宗教の話も相まってこの話は生徒たちの間というより父兄の間でしばらく話題になっていた。

 

受験シーズン中の事件であったこともあり、生徒たちが動揺するのは言うまでもない。だがその生徒たちを尻目に父兄たちの話はしばらく藤山の自殺と藤山の兄の話題だ。この話は私たちの卒業の年の離任式まで続くのだった。離任式に来た父兄たちもずっとこの話ばかりだった。

要らぬ新年のご挨拶

年賀状、それは普段お世話になっている方々への感謝の気持ちと今年もどうぞよろしくという挨拶のようなものだと私は考える。むろんそれは幼き日に両親から教えられたことでもある。あんなにとんでもない考えの両親でも、このようなことは厳しく教えてくれた。その点は感謝している。

 

私自身も両親の教えどおり年賀状を親しくしている友人や仲間に送るのだ。それは小学校に入った年から毎年行っている。小学校、中学校、高校となれば本当に自分と仲の良い友達がメインで担任の先生やお気に入りの先生などもそこに加わる。それだけじゃなく人によっては塾の先生などにも年賀状を出すこともあるだろう。かくいう私は小学校4年生からは通っていたそろばん塾の先生にも出すようにしていた。そんなわけでやはり共通するのは「年賀状を出すのは本当に親しい友人や良くしてくれる人たち」なのだ。この考えは今でも変わることがない。

 

そんな小学校6年生の頃の話だが、これだけはどんなに忘れようとしても忘れられない1通の年賀状があった。

私はその年の年末に母に「あんたの分のハガキ、何枚必要か教えて!お母さん年賀はがき買ってくるから」と言われており、学校から配られたクラスメイトの名簿を見て出す人出さない人と選別をしていた。これ以外にも他のクラスに在籍していたアスカやあやぽんにも出すことは決めていたので、選んだクラスメイトプラスほかのクラスの友達数名という感じになるのだ。そこにそろばん塾の先生なども加える。その結果だいたいいつも15枚から20枚は出していた。そして算出された枚数を母に申告してハガキを買ってきてもらうようになるのだ。

さて、私が選んだクラスメイト。ここには無論いつも一緒に遊ぶエリやあっこちゃんがまず出てくる。そしてその次に親しい友達が数名、担任の先生と続き、ここに他のクラスの友人であるアスカやあやぽんが加わる。これで学校関係者は終わり。そして更にそろばん塾の先生が加わるのだ。そして母からハガキを受け取り、思いのまま年賀状を作っていく。私は毎回この作業が楽しくてたまらない。むしろ年中行事の中でいちばん好きな作業なのだ。カラーペンやカラフルなシールを手元に置いて、イラスト図案集やアニメキャラのハンコも手元に置く、そして楽しくデザインしていって完成させるのだ。当時はパソコン等無い時代であり、人によってはプリントゴッコなどを使う場合もあったが、我が家にはそんな小洒落た代物などあるわけもなく、ひたすら手書きで全部仕上げていくのだ。だがそれも子供心ながらに楽しくてわくわくするものでもあった。だからこそ、本当に心から大好きな友達や仲間に送りたい、そう考えている。

そんな楽しい気持ちで作成された年賀状、このまま家族のものとともに郵便ポストに投函される。ここでもまたわくわくするものである。それは、楽しく作った年賀状が大好きな友達の手に渡ることがこの時点ですでに楽しみになるからだ。

 

だが、年が明けて私は心底幻滅するのだった。

年は明けて1月1日。

郵便屋さんに配達された年賀状を母が持ってくる。そしてその中から私宛のものを母が私に差し出す。それを受け取る私。エリやあっこちゃんからも届いている。エリからの年賀状は親御さんが印刷所に頼んだようなデザインのものであるが、本人からの直筆のメッセージが書かれていた。そして可愛いシールも貼られている。これだけでほっこりしたのだ。次に手に取ったのはあっこちゃんからの年賀状。可愛いキャラクターものが好きな彼女だけに年賀はがきのデザインも彼女の大好きなキャラクターで統一されていた。そしてエリと同様に本人の直筆メッセージが書かれていた。どちらも共通するものは「今年は小学校卒業だね、いっぱい遊ぼうね!」などというようなこちらが読んでいて嬉しくなる一言だった。

続いてアスカからの年賀状、こちらもアスカらしく一生懸命ペンで描いた少女漫画のキャラクターがあった。そしてメッセージには「これからもずっと仲良くしてね。結婚式もお葬式も呼んでねー!」という笑える一文が。お葬式という単語が良くないとされるだろう、だが私はお葬式にも呼んでねというアスカの一言、それは彼女なりに大切な友達に送る大切なメッセージであるとわかっていたのだ。というのも私は彼女のメッセージを「お葬式まで付き合える大切な仲間」と解釈した。それは死ぬまで大切な友達だよというものだろう。私は心の中で「ああ、呼んでやるよ!どっちも呼んであげる!」とつぶやいた。他にも数名の友達が続く。

 

そしていよいよ最後の一枚・・・。

差出人の名前を見ると・・・、そこには私が送った覚えのない名前があった。この年賀状は朝子からだった。本当に驚いた。正直彼女とは意見が合うことすらなく、性格の悪い彼女を私は友達だと思うはずもない、そのような背景から言うまでもなく私からの年賀状は出していない。正直彼女のためにハガキ代すらもったいなく思うのが本音だった。たとえ10円でも50円でも、朝子のためになんて払いたくない。今まで彼女は私にさんざん意地悪をしてきたうえに私の私物を盗んで何食わぬ顔をしていたこともあり、更には私に向かって「死ね」とまで言ったからだ。そんな人に簡単に「死ね」などと言う奴など私の友達ではない。同じクラスというだけで仕方なくクラスメイトしてあげているだけである。そんな朝子からの年賀状・・・果たして何が書いてあるのか。

 

裏面を見た私は唖然とした。朝子からの年賀状、そこに書かれていたもの・・・

「汚くてごめんね!」

その一文の添えられたハガキには、明らかにスタンプを押し間違えたかのように何度もブレて押してあるスタンプ。そしてインクでシミだらけになって、もはや何が書かれているかすら良く分からない「書き損じ」と思われるハガキだった。「ぐちゃぐちゃ」「単なる落書き」という表現がぴったりだった。

わざわざそんな年賀状を私に送り付けるその神経、いまだに理解できるものではないのは言うまでもない。年賀状も決してタダで送れるものではないのは彼女も知っているはず、それなのに書き損じたハガキをわざわざ私に送り付けるなど、正直悪質な嫌がらせとしか思えずハガキを見て私は送り主の朝子に対して強い殺意が沸いた。怒りも呆れも通り越して、その感情が「殺意」になる瞬間を初めて実感した。それと同時にお金を出してまで人に嫌がらせともとれる行動をする朝子を心底哀れに思った。本当に新年から嫌な思いをしたものだ。

 

今思うとおそらく朝子は私に書き損じたハガキを送り付けて、新学期が始まってからわざと私に「年賀状送ったんだから感謝しなさいよ!送ってあげたんだから!」とでも言おうとしていたのだろう。その予感は新学期になって見事的中した。

 

新学期になり学校に登校した私、教室には朝子と則子、そしてマミがいた。正直厄介な連中であったので私は挨拶すらせず無視をした。そしてその後ろにいた私と実際に仲の良い真琴と明奈とさくらに大きめな声で「おはようっ!元気だった?」と声をかけた。そこで彼女らと楽しい世間話や年賀状ありがとうね!というような会話が始まった。至って当たり前な光景だった。だが、それはその数分後に朝子らに見事に壊されるのだった。

私は明奈と冬休みの出来事の話をしていた。それを脇で聞く真琴とさくら、そしてエリとあっこちゃんもその場にいた。私は親戚の家に行った話をして、真琴はディズニーランドへ行った話をしていた。エリは家に親戚がたくさん来て楽しかったなど本当にほんわかするものだった。そこにズカズカと入り込んできたのは朝子だった。開口一番に彼女は私に得意げにこう言った。

 

「年賀状さぁ、私あんたに送ったでしょ?届いた?わざわざ送ってあげたの、だからここでありがとうって言ってほしいなぁ」と。

 

わざと書き損じたハガキを送り付けたうえに感謝しろだと?それを私が心から感謝するとでも思っているのか?朝子の考えを裏付けるかのように朝子の後ろでは則子とマミが私を見てクスクス笑っているのだ。明らかに人をバカにしたような笑いだ。私は無視を徹底しようと彼女らの視界から逃げようとエリに「向こう行ってお話しよう!」と言って周りにいたエリたちとともに教室の隅に移動しようとしていた。すると今度は則子が「私ちゃんひどい!無視した!せっかく話かけてやったのに何それ~」といかにも自分らが被害者だというような言葉を発してきた。ここで私は無視を徹底することをやめた。

 

そしてランドセルの中から私は朝子からの年賀状を取り出して、朝子にそれを差し出した。

「はいっ、朝子ちゃん!あたし朝子ちゃんから年賀状もらったのにこっちからお返しの年賀状出すの忘れちゃった~。だから直接手渡しでもいい?」

という一言付きで朝子の顔の前に彼女が出した年賀状を突き付けた。そしてその年賀状を見た朝子、一瞬にして顔が真っ赤になった。そして

「ちょっと何よこれ!私があんたに出してあげた年賀状でしょ?しかもこっちは一生懸命書いたんだよ!それなのに・・・」

と顔を真っ赤にして怒り出した。ここで私は嫌がらせには嫌がらせで返してあげようと考えた。そしてそのハガキを右手に持ってその手を上にあげて

「ねぇみんな!これ、愛情がこもってると思う?こんなハガキもらってうれしいと思える?どう見ても失敗したやつだよね?そう思わない?」とその時教室にいたクラスメイトたちの前でわざと大声で言った。すると私のもとにわらわらとクラスメイトが集まってきた。そしてハガキを見るや各々が

「これ失敗したやつ?」

「うわぁー、きったねー!」

「汚くてごめんね!なんて書くぐらいなら出さなきゃいいじゃん!ハガキ代もったいねー!」

「いじめじゃん、これ」

「これで年賀状?サイテー!」

「こんなの受け取って嬉しいか?私だったら友達やめるね」

と言い出した。実は私はクラスメイトのこの反応を見たかったのだ。うれしいことにあっこちゃんがここで一言・・・

「あ、うちにも朝子ちゃんから年賀状届いてたけど。普通にスタンプ押してあって今年もよろしくね!って書かれてたよ。うーん、私ちゃんに送ったのとは違うね」

続けてエリも

「うちにも私ちゃんみたいなやつじゃないのが届いてたよ。けど、人からもらった年賀状をこうして持ってきてバカにするのってどうなの?朝子ちゃんかわいそうじゃないの?」

と、ここでエリが朝子をかばう発言をした。だが私は

「エリ、あんたバカなの?そういう問題じゃないんじゃない?あんたがこういうハガキ受け取ったらうれしいわけ?これ、だれが見ても嫌がらせと思えるでしょう?少なくとも私が朝子と友達でもこんなことされたらいやな気分になるね」

とエリのお人よし発言を一蹴した。仲良しのエリにそう言い放ったのも本当に頭に来ていた末の行動であった。するとここに学級委員長の良樹が来て

「私ちゃんのやり方は確かによくないけど、俺もきっとこんなもんもらったら同じことするね」

と朝子に向かって言い放った。すると朝子はさらに顔を真っ赤にして

「伊藤(良樹の苗字)くん!学級委員だからっていばんじゃないよ!私だって一生懸命に書いて・・・それで私ちゃんは友達だから年賀状出しただけなのに・・・」

と言い出した。そもそも私は朝子を友達だと思っていなかった。

本当に往生際が悪く、ここでも噓泣きをしだす朝子。朝子の泣く姿を見て私は嘘泣きだと見破った。彼女は嘘泣きをするとき、いつも平手で顔を覆う。彼女が本当に泣いているときはこんなことをしないのだ。そして何よりも泣いている時にいつも顔は真っ赤ではないので、私はすぐさま「嘘泣きして同情を買おうとしている」と確信した。そこですかさず私は

「おい朝子!嘘泣きしてんじゃねーよ!」

と怒鳴りつけた。そこで私の怒鳴り声に驚いた朝子が顔を上げた、涙など流していない・・・やはり嘘泣きだった。そしてここで則子とマミが

「私ちゃん何朝子をいじめてるの?一生懸命絵をかいても失敗する場合だってあるでしょう?朝子はそれでも一生懸命だったんだから!」

とこの期に及んで朝子をかばう。確かに絵が下手だったり趣味が悪いというのは当てはまる。だが、ほかに朝子から年賀状を受け取った人がその現物をもっていればここで証明できるのだが・・・、と思った。

 

神様はやはり見ていた。ここであっこちゃんが口を開いた。

「そういえば朝子ちゃんからの年賀状、あたし持ってるよ。これね、クラスの友達から届いた年賀状。そんでね、これが朝子ちゃんから届いたやつ・・・」

と朝子からあっこちゃんに届いた年賀状を取り出してみんなに見せた。すると一同

「桃井(あっこちゃんの苗字)に届いたの、普通のじゃん!」

「なんだよこの差・・・、酷いね」

「やっぱり私ちゃんに出したのって失敗したやつなんじゃね?それをわざと送り付けたんだろう?」

「うわぁー、やっぱり!これで今度は送り先間違えたとか言い出すんじゃねぇの?」

「ハガキの交換料ケチったんじゃねーの?ケチくせぇなぁ、朝子ドケチー!」

「ねぇ朝子ちゃん知ってる?失敗したハガキは郵便局に持っていけば白いハガキと交換してくれるんだよ?けどタダじゃないけどね」

この瞬間、私はあっこちゃんに心から感謝した。というのも近くにいた彼女が何故だか理由はわからないが偶然クラスメイトからもらった年賀状を持っていたから、その証拠をみんなに見せることができた。そして私の言うことが決して理不尽な言いがかりではないことも証明できたからだ。

 

やはり朝子は確信犯だった。

失敗した年賀状をわざと私に送り付けた、その証拠に他の人に送ったものが私に送られたようなひどいものではなく、しかもわざわざ「汚くてごめんね!」などと書かれているものでもない年賀状だったからだ。そして朝子には明らかに「失敗したハガキを間違って送った」とか「もともと絵が下手」とかそういう理由があるとは思えないと私は知っていたから、今回この私に送られてきた年賀状を本人に突き出して事情を聴こうと思っていた。というのも、朝子は本当に絵が下手なのではない。普通レベル程度である。本当に絵が下手であれば図画工作の授業で描いた絵でも何を描いているのかわからないようなものを普通に描くだろう。だが朝子は決してそうではないのだ。ある日私が描いたイラストに色鉛筆で色を塗りたいというので、私はあえて朝子に色鉛筆で絵に塗ることを許したところ、色を塗るのに線からはみ出すわ色使いは雑だわとひどい有様だったのにも関わらず、エリやあっこちゃんの描いた絵に色を付けたいと言って色を付けた時には丁寧に色鉛筆で色を入れていたのだ。だから元から絵が上手ではないなどそういうことは決してないはずだ。私にしたことはわざとであった。まさにこれは人間性の問題だろう。

 

人によってあからさまに態度を変えたり対応を変える、差別をするなどこんなに腐った人間性が出来上がるのか・・・。朝子は本当に腐った人間性の持ち主でしかない、と今でも思う。平気で私の悪口をわざと私が聞こえるように言うのは当たり前、何も知らないくせに私にしきりに「貧乏」とか「乞食」や「クズ」とか「ゴミ」などと言ってくる。極め付けは私がそれに対して怒っているとなると、素直に謝罪するのではなく「ねぇ~、ごめんよぉ。許してぇ~」などと人を馬鹿にしたような謝罪をしてくる。言うまでもなくその後反省の色などない。そもそも謝罪云々というよりも、人に平気で「貧乏」だの「乞食」だの言える精神自体本当に人間性を疑う他ない。

ここに書くこと、実際に朝子に言われた台詞である。(注意・カッコ内は私の本音である)

・人間のクズ(誰がだよ!)

・社会のゴミ(だから誰がだって!)

・町内のゴミ(ははーん、町内のゴミですか。だったらお前は核廃棄物だろう?)

・奴隷(現代の日本に奴隷制度はありません)

・頭おかしい(頭おかしくて結構!少なくともお前に迷惑かけてないし)

・知的障がい者決定!(障がい者差別か。こんなことを思いつくなんて明らかにお前の人間性に難ありじゃん)

・(日本史の授業で出てきたときに)えた・ひにん(これさぁ、芸能人や政治家とかが言ったらニュースになるレベルでしょう。下手すればその発言ひとつで社会的地位を失うぞ)

・貧乏人(あーはいはい、貧乏でごめんなさいねー)

・乞食(明らかに差別語です)

・物乞い(お前がだろう?事実厚かましいし。それにお前に言われる理由なんてない)

・流行遅れ(ファッションセンス云々以前にお前の脳みその中の方が相当遅れてるわ。そもそもマミがいないと何もできないくせに)

・私ちゃんの名前がかわいそう。同じ名前の人が本当にかわいそうだよね(そういう発言をするお前と同じ名前の人の方がかわいそうです。お前のせいでいじめに遭う危険性すらあるんじゃないですか?)

 

ここに書いたものはほんの一部ではあるが、こうして書いていくとわかる通り本当に人間性を疑うほかない。そんな朝子から届いた年賀状のおかげで新年から嫌な思いをしたのだった。そもそもそんな嫌がらせをする気力があるんだったら自己啓発にでもその気力を使ってほしいものだ。

 

そんな朝子は堂々と名前を言えない高校に進学するなど、決して人が羨むような道に進んでいない。因果応報だろう。